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蘇軾(そしょく)について解説/どんな書道家だったのか/行書の代表作品・特徴も紹介

2025 4/12
中国の書家
2025年4月12日

蘇軾(そしょく)は宋そうの時代の特に優れた文学者であり、政治家、書家、画家です。

中国の歴史全体から見ても、一流の人物といえます。

今回は、そんな蘇軾について紹介し、代表作品・特徴も紹介していきます。

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目次
  1. 蘇軾について解説
  2. 蘇軾の人生
    1. 20歳で科挙に合格し官僚となる
    2. 党争に敗れ地方に左遷される
    3. 皇帝が変わると政治の中枢に復帰→左遷→中枢に復帰をくりかえす
  3. 蘇軾はどんな人だったのか
  4. 蘇軾の代表作品
    1. 黄州寒食巻(こうしゅうかんじきしかん)
    2. 前赤壁賦(ぜんせきへきふ)
    3. 李太白仙詩巻(りたいはくせんしかん)
  5. 蘇軾の作品の特徴

蘇軾について解説

蘇軾像
蘇軾像

蘇軾そしょくは北宋の景祐3年(1037)に、眉州(四川省眉山びざん県)で生まれます。

字あざなは子瞻しせん、よく別名で使われる蘇東坡そとうばは雅号がごうです。諡おくりなは文忠といいます。

父の蘇そ洵じゅん、弟の蘇そ轍てつとともに「三蘇」と呼ばれています。
3人とも文章に優れ、唐宋八家の中に位置づけられています。

蘇軾の人生

蘇軾の人生は、官僚としての立場に左右され続ける波乱の人生でした。というのも、彼が所属する旧法党と新法党との党争により、権力が優勢のときは政治の中枢に立ちますが、劣勢の時は地方へ左遷されるというのを繰り返したからです。

20歳で科挙に合格し官僚となる

嘉祐かゆう2年(1057)には、弟の轍てつとともに科挙かきょ(官僚登用試験)に合格し、進士しんしとなりました。

官僚としては鳳翔府ほうしょうふ僉判せんはんから、やがて中央官庁に入り、司馬光しばこうの旧法党に加わりました。

党争に敗れ地方に左遷される

神宗しんそう(北宋の第6代皇帝)のときに、王安石おうあんせきの新法党との党争に敗れた結果、蘇軾が書いた詩に国政を悪く言った内容が書かれていたことが理由で、捕らえられて殺されそうになります。

しかし、神宗しんそう皇帝が蘇軾の才能を惜しみ、罪が軽減され、地方(黄州)への左遷させんだけとなり、地方官を転々としました。

皇帝が変わると政治の中枢に復帰→左遷→中枢に復帰をくりかえす

神宗しんそうの死後、次の皇帝哲宗てつそう(北宋の第7代皇帝)の政治の見直しによって、旧法党が復権したことから蘇軾は政治の中枢に復帰しました。

しかし、旧法党のトップである司馬光が亡くなると、旧法党が3党に分裂し、そのうちの蜀党しょくとうの党首となって苦労したそうです。

元祐げんゆう7年(1092)には、礼部尚書れいぶしょうしょ、端明殿たんめいでん翰林かんりん侍読じとう学士がくしという要職につきますが、2年後には章惇しょうとんらの新法党に政界を支配されると、恵州(広東省)へ左遷され、さらに昌化軍(海南島)へ流されました。

元符げんぷ3年(1100)、徽宗きそう(北宋の第8代皇帝)が即位すると、許されて中央へ戻されることになりましたが、戻る途中で病気により波乱の人生を閉じました。66歳でした。

蘇軾はどんな人だったのか

蘇堤
蘇堤

蘇軾の人生は、政界での浮き沈みは激しく、波乱の人生でしたが、儒家思想の影響を強く受けた知識人であり、思うようにならない不遇があっても精力的に活動しました。

蘇軾は民衆の苦しみに関心を持っていて、地方官を務めていた時には、人々の生活がよくなるように施策を考え実行し、今でもその人柄は称賛されています。

浙江せっこう省杭こう州にある西湖の蘇堤そてい(人口堤防)は、蘇軾が残した偉大な功績で、西湖では南北にわたる蘇堤の美しい景色が楽しめます。

蘇軾の代表作品

黄州寒食巻(こうしゅうかんじきしかん)

蘇軾の作品「黄州寒食巻」
蘇軾「黄州寒食巻」

黄州寒食巻(こうしゅうかんじきしかん)、元豊5年(1082)

現在は台北故宮博物院にあります。本福33.5×125.5㎝の紙本巻子装です。

蘇軾が黄州に左遷されて3年目の寒食の節目につくった五言詩2首の草稿です。

黄州寒食巻についてはこちらで詳しく紹介しています。↓

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前赤壁賦(ぜんせきへきふ)

蘇軾の作品「前赤壁賦」
蘇軾「前赤壁賦」

前赤壁賦(ぜんせきへきふ)、元豊6年(1083)

台北故宮博物院に現蔵し、本幅が32×181.8㎝の紙本巻子装です。

蘇軾は元豊5年7月に湖南省の古戦場、赤壁に遊歴しれ、この賦をつくり、10月に再び訪れまた1賦をつくりました。

この2つの賦をあわせて「赤壁賦」といいます。

前赤壁賦の方は、日本の高校の書道の教科書に採用されるほど有名な作品です。

この巻は、後の明みんの文徴明ぶんちょうめいが入手しますが、すでに冒頭が失われてしまっていたので、36字を補いました。右から5行の部分は文徴明の筆跡です。

李太白仙詩巻(りたいはくせんしかん)

李太白仙詩巻
李太白仙詩巻

李太白仙詩巻(りたいはくせんしかん)、元佑8年(1092)7月

蘇軾が58歳のとき、汴京で道士の丹元子(姚安世)に出会い、この丹元子が口ずさんでいた李白の作とされる詩2首を授かり、それを書巻にしたためたものです。

詩の伝来には神秘的な色彩がありますが、作品自体は蘇軾のものとして古人が認めているように、代表作品の1つです。

蘇軾の作品の特徴

蘇軾は当時の風潮と同じように顔真卿がんしんけいの影響を受けています。

若いころは二王(王羲之おうぎし、王献之おうけんし)の字を学び、中年になってから顔真卿の字を学び始めました。

蘇軾の書風の特徴として、字形はひらたく、斜めで、文字の上部が重く下部が軽い(上部はゆったりして下部が引き締まっている)と言えます。

さらに、線は肉付きがよく、ゆったりとした風格があります。しかしその中にも厳しさが感じられます。

先人の述べるところによると、蘇軾の筆の持ち方は他の人と違うと言います。親指と人差し指で筆の軸を持つ、いわゆる「単鈎法たんこうほう」で、現在のペンの持ち方に近かったようです。

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