書論

夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)について解説/内容を現代語訳で紹介

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夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうは、世尊寺家せそんじけの6代目当主、藤原伊行ふじわらのこれゆきが著した、書道についての最も古い口伝書です。

平安時代後期に作成されたのですが、これが日本において最も古い書論とされています。

最も古いことから後世に与えた影響も大きく、日本において誰の筆跡をどのくらい尊重するべきなのか、夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうの中で挙げられている能書のうしょたちが尊重されるようになりました

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夜鶴庭訓抄について解説

夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうは、世尊寺家せそんじけの6代目当主、藤原伊行ふじわらのこれゆき(?~1175)が著しました。

世尊寺家せそんじけとは、平安時代に活躍した三跡さんせきの1人、藤原行成ふじわらのゆきなりの家系のことを指し、伊行これゆきはその6代目当主ということです。

ではどうして藤原伊行これゆき夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうを作成したのでしょうか。

それは、伊行これゆきの娘の建礼門院けんれいもんいん右京大夫うきょうのだいぶが宮中に当たって、伝統の名門に生まれた女性として恥ずかしくないようにとの心やりから世尊寺家の口伝を書き与えました。それが夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうということです。

夜鶴庭訓抄の「夜鶴」とは、夜、巣ごもりする鶴。子を思う親の愛情をたとえていう語のことです。

夜鶴庭訓抄の「庭訓」とは、家庭の教訓・家庭教育のことです。

夜鶴庭訓の「」とは、書き写すことをいいます。

これまで書道について語った文章はなかったため、この夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうが最古の口伝書として、書道にたずさわる人々にとっての座右の銘となりました。

夜鶴庭訓抄の内容構成

夜鶴庭訓抄は全部で24条に分けられているのですが、そのうち「序」以外の23条は「一、…」の箇条書きで書かれています。

一条で短いものはわずか22、3字ですが、長いものだと350字ほどもあります。

全文合わせると約5000字もあります。

内容としては、書を揮毫する際の形式、作法について書かれており、筆づかいなどの書法の実技についてはあまり書かれていません。

夜鶴庭訓抄が後世に与えた影響

夜鶴庭訓抄は全部で24条に分けられていると紹介しましたが、とくにその第23条「内裏額書たる人々」がもっとも重要な部分です。

ここに書かれている事跡、人名は、書道史年表の源流ともいえる、大きな影響を与えた部分です。

つまり、それまで言い伝えられたり、物語や歴史書などに挙げられていた事跡・人名をここで初めて総括しているからです。

これが夜鶴庭訓抄の存在の意義といえるのです。

夜鶴庭訓抄の成立年代はわかっていない

夜鶴庭訓抄の正確な成立年代は分かっていません。

しかし、伊行の書名が残っている仁平3年(1153)から亡くなる安元元年(1175)の間、娘の右京大夫が成人した後と考えられています。

ちなみに夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうの原本は現存しておらず、現在伝わっているものはすべて室町・鎌倉時代に転写されたものです。

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夜鶴庭訓抄の内容を現代語訳で紹介

夜鶴庭訓抄の内容を現代語訳で紹介します。

とくに最後の方にある「能書たちの紹介」に注目してみてください。

序 入木とは

(入木とは、手書くを申す。)
入木じゅぼくとは、手習いのことです。

(この道をこそは、何事よりも伝うべけれ。)
この入木の道こそは、他のどのような事よりも後世に伝えたいものです。

(されど額、御願の扉、また異国の返牒、御表、色紙紙、願文など人書かすまじ。)
けれども、額、御願ごがんの扉、また外国への返牒かえしじょう御表おんひょう色紙形しきしがた願文がんもんなどは重要なものなので人から書かせてもらえないでしょう。

(それがしが子とて、内院うちいんより書けとも仰せあるまじ。)
私の子だからといって朝廷や院より書けとも仰いだされることはないでしょう。

(されど仮名は書くべきなり。)
けれども仮名は書かせてもらう機会があります。

(世に手書きにつかわれんじょう、御草紙などぞ給わりて書かんずる。)
世間で能書としてもてはやされ、御草紙おんぞうしなど内院から下されて書くこともあるでしょう。

(さはいえども仮名は道せばく、易き事なれば、好まんに、などか書かざるべき。)
そうはいっても、仮名は用いられる範囲が狭く、たやすいので、手習いが好きな者にとっては、ぜひ練習をしておいた方がよいでしょう。

草紙書く様(仮名の文章)

(草紙書く様。)
草紙を書く様式。

(まずひき広ぐる端より書くべし。)
まず広げ始めた端から書くようにしなさい。

(普通には中より書くなり。)
普通には、中から書きます。

(家の習いにて端より書くなり。)
世尊寺家せそんじけのしきたりとして端から書きます。

(かくは知りたれど、多く中より書きたる事あり。)
広げ始めてから書くものだとは知ってみても、多くの場合、中から書き始めることがあります。

(それはぬしの好みにても、また思い誤りでも、また次々の人のは、とてもかくても、ていしゅうせぬなり。)
それは依頼主の好みだったり、また思い誤りだったり、またその他いろいろな人のいらいがあるだろうけれども、それぞれしきたりにとらわれなくてもよろしいでしょう。

(されどさるべき事とは知るべきなり。)
けれども、原則は知っていなければなりません。

(また、手の様々ようようを一帖がうちに見せて書かるべし。)
また、文字の変化を一帖の中に見せて書くものです。

(様々というのは、いろは書き、草乱れたる様替えて書くべし。)
文字の変化というのは、仮名とか草仮名の散らした様子とかを、変化をもたせて書くことです。

(それも人々多く草紙合わせなどにても、手書きあまたきおい書くに、片端かたつまありて書くなり。)
それも人々は多くの場合、草紙合わせなどでも、能書の人々が大勢争って書きますが、ちょっと人を引きつけるような気どった書き方をします。

(君の御造紙一部とあるものはどは、さは書くまじ。)
建礼門院からの御造紙一部をあるものなどはそうは書かないでしょう。

(麗わしくあるべし。)
美しく書くものです。

(物語は、手書き書かぬ事なり。)
物語は能書の人は書かないようにしています。

(人あつらうとも、とかくすべりて書くべからず。)
人が頼んでも何とか言って辞退し、書いてはなりません。

歌を書く様

(歌を書く様。)
歌を書く様式。

(二行ならば、五七五、一行、七七、一行。)
二行ならば五七五を一行、七七を一行。

(三行ならば、五七、一行、五七、一行、七、一行まで三行にあるべし。)
三行ならば五七を一行、五七を一行、七を一行とし、三行にするように。

(ただ手だに美しくばなどいう事は、無下の事なり。)
ただ文字さえ美しく書けばよい、などということは良くありません。

(さればこそ道はいみじけれ。)
ですから、入木の道は文字を書くだけのことではなく、いろいろな約束事があります。

(それにとりては、三代集を書くに口伝あり。)
その例として、三代集を書く口伝を述べましょう。

(古今には題不知、読人不知。後撰には題不知、読人も。拾遺には題、読人不知と分かちて書くなり。)
古今集では、「題不知 読人不知」、後選集では「題不知 読人も」、拾遺集では「題 読人不知」と区別して書きます。

(また、先祖の大納言殿(行成)帥殿(伊房)三代集を書き給いたるに、躬恒が名を三常と多く書き給えり。)
また、先祖の大納言殿、そつ殿が三代集をお書きになったのには、ほとんど「躬恒みつね」の名を「三常」とお書きになりました。

(また、法師とある所を、法しと書かれたり。ようのある事なんめり。)
また、「法師」とある所を「法し」と書かれています。きっと、様式のいわれがあるのでしょう。

(その人の子孫などは、先祖のしたる事を学ぶべきなり。)
世尊寺家の子孫として、先祖のしきたりを学びなさい。

し、人もなんじ問う人あらば、こうこうと答うべし。)
もし、他家の人でこの書き方をとがめだてする人がいたら、祖父からの口伝です、と答えなさい。

(造紙の外のものは、女のためよしなけれど、家の風なれば、人よりもつまづまと少しづつ知るべき事なり。)
造紙の外の事は、女のためにはあまり必要なことではありませんが、世尊寺家のならわしなので、他の人よりも口伝の要所要所を少しづつでも知らねばなりません。少しばかり説明を加えました。

御表

(御表。)
御表。

(関白、摂政、大臣などの、つかさを辞する事を申す草は、博士に作らせて、手書きの書くなり。)
関白、摂政、大臣などの、辞任の上奏文の草稿は、文章博士に作らせ、能書の人が書きます。

(大事なり。)
それほど大事な事です。

(公卿の座の末、もしは蔵人所のかみ、東三条殿にでは、二棟の廊の東面などにて書くなり。)
公卿くげの末座であったり蔵人所くろうどどころの上座、東三条殿では、二棟の廊の東面などで書きます。

(装束は衣冠、博士は束帯、衣冠思い思いなり。)
服装は、衣冠を正しくして参じ、博士は束帯、衣冠は、それぞれによっています。

(料紙は檀紙必ず三枚、御名注例によりて書く。)
料紙はまゆみ紙、必ず三枚、名簿は書式に従って書きます。

(禄ある度あり。禄あれば拝あり。二拝。)
ろく(給金)をもらうことがあります。禄をもらえれば拝礼のしきたりがあります。二拝。

大嘗会の御屏風は大事なり

(大嘗会の御屏風は大事なり。)
大嘗会だいじょうえの御屏風は重要なことです。

(悠紀、主基とて左右あり。)
悠紀ゆき殿、主基すき殿にそれぞれ左右に立てられています。

(五尺六帖、四尺六帖ずづ左右にあるなり。)
五尺六帖、四尺六帖ずつ左右にあります。

(五尺には本文を書き、四尺には仮名を書く。)
五尺の屏風には本文を書き、四尺の屏風には仮名を書きます。

(博士二人、左右にして、本文は考えて、やがてその博士歌詠みなれば、歌も兼ね読むなり。さらねば別の人も詠む。)
博士二人は左右に配置され、本文はよく考えて作ります。その博士は歌人なので和歌も併せて詠みます。

(悠紀の方の歌をば、ただ仮名に、主基の方は草に書く。秘説なり。)
悠紀の方の和歌は平仮名で、主基の方は草仮名で書きます。これは秘説です。

額は第一大事なり

(額は第一大事なり。)
額は最も重要なものです。

(されど多く古本を見て書く。)
けれども、ほとんど昔の書物を見て書きます。

(額にとりて大内額、書き替うる所どものあるなり。)
額の中で大内裏の額は書くところによって書体が違います。

急ぐ物書くには

(急ぐ物書くには、筆の管短き良し。また、いたく墨磨らす。)
急ぎの物を書くのには、筆の管が短いのがよろしい。また、墨を濃くは磨りません。

御願の扉

(御願の扉、本文を絵に合わせて、土台をして書くに、扉の上の色紙形は少し大きに下は小さく、草なる枚は草に、真なる枚は真に、一枚がうちに書き交ぜたるは悪き事なり。)
御願の扉は、本文を絵に合わせて下書きをして清書するのですが、扉の上方の色紙形は少し大きめに、下の方は小さく、草書の色紙形には草書で、楷書の色紙形は楷書で書き、一枚の中に草書と楷書とを書き交ぜたのはよくありません。

(ただし、居屋などの、け近き障子の色紙形は、上下によりて大小あるまじ。)
ただし、日常の居室などの身近なふすまの色紙形は、上下によって大小をかき分けることはしなくでもよいでしょう。

(絵などは、上は小さく書く。その故あるべし。)
絵などは、上は小さく書きます。その由来は何かあるはずです。

硯(すずり)について

(硯。第一は唐硯。)
すずり。第一は唐硯とうけんです。

(硯の良きというのは、磨るに墨も硯も、共に潰るように覚ゆべし。)
良い硯というのは、ると、墨も硯もお互いにすり減っていくように感じるものです。

(磨りたる水の遅く乾、また、泡ふかず、とろめかず、なめらぬを良きというなり。)
磨った水が乾きにくく、また、泡ができず、どろどろにならず、滑らないのが良いのです。

夏の硯について

(夏の硯は、く汚くなる。よいの水悪し。)
夏の硯は、すぐに汚れます。日が暮れた時間の墨(液)は良くありません。

墨と料紙について

(墨は唐墨良し。)
墨は唐墨からすみがよろしい。

(唐墨も悪きは多くあり。唐墨の良きは、遅くついえめでたきものなり。)
とはいっても、唐墨の中にも悪いものはたくさんあります。唐墨の良いのは、減り方が少なく申し分なく素晴らしいものです。

(また、墨良けれども、きらめかぬ料紙あり。)
また、墨は良いけれども、美しく書けない料紙があります。

(厚紙、まゆみ紙、唐紙などの墨つかぬあり。)
厚紙、まゆみ紙、唐紙などで墨がなじまないのがあります。

(されどそれも良き墨にて書きたるが、墨つきは良く見ゆるなり。)
けれど、それも良い墨で書いたものは、墨のなじみ具合が良く見えるものです。

筆について

(筆は第一の毛良し。)
筆はうさぎの毛が第一によろしい。

(大なるにて小さき文字書かれ、小さきにて大文字書かる。)
大きな筆で小さい文字を書くことができ、小さな筆で大文字を書くことができます。

(遅くつぶ愛あり。)
毛先のすり切れるのが遅く、書いた字に愛敬があります。

(ただし、書きたる物ぞ少し文字弱く見ゆる所あれど、わが手柄によるべし。)
だが、書いたものに少し筆勢が弱く見えるところがあっても、それは自分の腕前によるものです。

せんに嫌うは、わが手至らぬ時の事なり。)
結局、自分の技術が未熟の時は、すべてがよろしくありません。

扇の手習い

(扇の手習いは文字・絵あらば、絵の心に適わん詩歌しかを書くべし。)
扇の手習いは、文字や絵があったならば、絵の心にふさわしい詩歌を書きなさい。

(葦手なども読み解きて書くなり。)
葦手絵も詠み解いて書くものです。

(君の御扇には、祝の詩歌を書くべし。)
主上の御扇には、祝いの詩歌を書くものです。

(また、畳みたつ折り目に書くまじ。畳みたるに、物書きたると見せず書くべし。)
また、畳んだ折り目には書かないようにしましょう。畳んだら、文字が書かれてないように書きなさい。

(書かぬ間のあるというはこれなり。)
「書かない間がある」というのはこのことです。

(裏に書かず。ただし様によるべし。)
裏には書きませんが、それは場合によるでしょう。

(その故は、大納言殿、一条院の御寺、扇合わせありけるに、唐紙の細骨に張りたるに、自ら楽府がふを、表には真に裏には草に書かれたりけるを、殊に御秘蔵ありけると申し伝えたれど、事に従うべしよいうなり。)
その訳は、一条天皇の御世に扇合わせがあったとき、大納言行成卿が唐紙を扇の細骨に張り、自作の楽府がふ(漢詩の1つ)を、表には楷書で裏には草書で書かれました。この扇を、主上が殊の外御秘蔵なさったと言い伝えていますが、扇に書くときには故事に従うべきものです。

硯にさす水を入れておく硯瓶について

(硯瓶は、一銀。二茶碗。三貝。四銅。)
硯瓶すずりがめ(水入れ)は、一は銀の器、二は陶磁器、三は貝、四は銅の器。

その他の筆について

わら筆、こも筆、書き様、結い様、執り様あり。常の筆執る様とは替るなり。)
わら筆、こも筆は、書き方、作り方、執筆法がそれぞれ違います。普通の執筆法とは違っています。

(鹿の毛の筆にて、小字を書ける良し。)
鹿の毛の筆で、小字を書いているのは良いものです。

雨中に物書く

(雨中に物書く、かたがた良し。見苦しからず、速く書かる。墨も乾かず。)
雨降りの日に文字を書くことは、上手に書けるそれぞれの条件に合ってよろしい。苦労せず、速く書くことができます。硯の墨もそれほど速く乾きません。

灯のそばで文字を書く方法

(灯の前にて物書く様。)
夜、灯のそばで文字を書く方法。

(昼よりは、少し小さく書くと思うが、同じ大きさの文字には書かるなり。)
昼よりは少し小さく書いたように思っても同じ大きさの文字に書けるものです。

(夜は大きに書かるるが故なり。)
夜は大きめに書けるからです。

番長とて、堂僧の持物は

(番張とて、堂僧の持物は、手書き書くなり。)
番張(法華経を唱える際の順番張)というものに、堂僧の持物を能書の人が書きます。

(必ず三枚あり。その三枚というひらに三行を書くべし。)
必ず三枚あります。その三枚目に三行を書くこと。

(これ秘説なり。)
これは秘説です。

(東塔西塔によりて替る事あり。替るというは、の数の多く少なきなり。)
東塔と西塔(比叡山にある塔)によって替わることがあります。替わるというのは、(仏徳または教理を讃する詩)の数の多少によります。

(料紙、めでたき紙にいろいろ絵あり。)
料紙は、立派な紙にいろいろの絵があります。

出家すると戒牒(かいじょう)というものがあるという

(出家して戒牒と申すものあり。)
出家すると、戒牒かいじょうというものがあります。

(四月十一月にあり。檀紙下絵あり。)
四月十一月に書きます。檀紙に下絵があります。

(三枚おくに、比丘という所をば、必ず三行に書くべし。)
三枚目の奥に、比丘びくという所を、必ず三行に書くこと。

(端の行よりは、少し引き上げて高く書く。)
端の行よりは少し引き上げて高く書きます。

(座主の判所、真に書くべし。)
座主ざす(僧職)の記名は楷書で書きます。

経は

(経は、本体は真に書く。)
経は、本来は楷書体で書きます。

(大納言殿、書くべき様書き置かれたるには、いたく真なる悪し。)
御先祖の大納言行成ゆきなり卿が写経の書き方を書き残されたのによると極端な楷書はよろしくない。

(草といえば、点落つる程の草にはあらず。)
草書といっても点を略するほどの草書ではありません。

(経師げなく、見よき程の真に書かるべし。)
写経師臭さがなく、見て好ましい感じのする楷書に書きなさい。

(法華経一部を人々あまたに書かするに、一の巻、八局をばその中の手書きに書かすべし。)
法華経一部を寄り合い書きする場合には、第一巻・第八巻をその中の手書きに書かせなさい。

年中行事の障子

(年中行事の障子 十二月の月文字を十二様に書くべし。)
年中行事の障子 十二か月の各月の文字は、十二種類になるように書きなさい。

(書き替えて書く事。)
それぞれ書き替えて書くわけです。

(文字は行ごとにあれば書き替え難し。)
月という文字は行ごとにあるので、書き替えがむずかしいものです。

(されどそれも、月を替うるていに、一月ずつも替りてかくべし。)
けれども、それは月名を書き替えるように一月ずつでも替えて書くこと。

生絹すずしきぬにて、墨のいかにもつかぬをば、はじかみを入れて磨りて書くなり。)
生絹の布で墨のつきにくいのには、はじかみ(ショウガ・サンショウの異称)を入れて墨を磨って書きます。

(秘説なり。)
秘説です。

天皇の前で硯を借りて文字を書く作法

(君の御前にて、御硯給いて物書く様。)
天皇の御前で御硯を拝借して文字を書く作法。

(折りにつけておおせ書きなどする事もあるに、御硯をば君に向かえ参らせて置きて、我は逆さまにて書くなり。)
その時々のおおせ言を書くことがある折には、御硯は天皇の方に向けたままで、自分に対しては逆にして書きます。

(御硯なりとも御前ならざらんには、言うに及ばず。)
天皇の御硯であったならば、御前でない場合にも、もちろんのことです。

(筆はいかならんなりとも、執りつる筆にて、これかれ執りてりなどする事あるべからず。)
筆はどのような物であっても、手に触れた筆で書き、あれこれと取り選ぶ事などしてはいけません。

(筆を濡らして、きとまもり上げ参らせれば、書くべき事おおせあり。)
筆に墨を含ませて、きりっとした態度で見上げ申し上げると、書くことを仰せいだされます。

(たびたび問い参らすれば、便びんなき事なり。)
何度も聞き直すのは、失礼にあたります。

(書き果てては硯の水にきとすすぎて、かささして置くべし。)
書き終われば、筆を硯の水ですぐにすすいで、筆帽をかぶせておくようにしなさい。

能書たちの紹介

(内裏額書きたる人々)
内裏額を書いた人々
十二門額
南:美福びふく 朱雀すざく 皇嘉門 已上いじょう弘法大師(空海)
西:談天だつてん 藻壁そうへき 殷富いんぷ門 已上野美材やみよし
北:安嘉 偉鑒いかん 達智たつち門 已上橘逸勢たちばなのはやなり
東:陽明 待賢 郁芳いくほう門 已上嵯峨天皇さがてんのう

(また内の額書ける人々)
また、内裏の額を書いた人々
道風みちかぜ内蔵頭佐理すけまさ左大弁行成ゆきなり大納言、定頼中納言
兼行大和守弘経ひろつね少納言源左府げんさふ俊房、入道殿下

(皆勧賞あり)
皆褒賞をもらいました。
冷泉中納言朝隆
宮内少輔伊行

紫宸 仁寿じじゅう 承香しょうきょう 常寧已上南北より 貞観じょうきょう
安福 校書きょうしょ 清涼 弘徽こき已上南北より 登華とうか
春興しゅんこう 宜陽ぎよう 綾綺りょうき 麗景已上東北より 宣耀せんよう
温明うんめい 後涼西東
飛香ひぎょう 凝華 襲芳舎しほうしゃまた雷壺という 昭陽
淑景しげい南より

(内裏の門、殿舎多かれど書かず。むねとある所ばかりを書けるなり。)
その他、内裏の門や殿舎は多いけれども、そのすべては書きません。最高の価値のあるものだけを書きました。
宇治殿平等院 額:源左府俊房 円宗寺 額:兼行 色紙形:長季
御堂法成寺 額:大納言行成 扉:兼行 白川院法勝寺 額扉:俊房
堀川院尊勝寺 額:俊房 色紙形:中御室 阿弥陀寺 御塔主殿頭公経 扉故入道殿定信
白川院証金剛院 額:俊房 色紙形:中御室 鳥羽院最勝寺 法性寺イ 額:関白殿
宝荘厳院 額:入道殿下 扉:朝隆中納言 待賢門院円勝寺 額:入道殿下 扉:故入道定信
崇徳讃岐院成勝寺 額:入道殿下 後白川一院金剛勝院 額:入道殿下
美福門院歓喜光院 額:入道殿下 扉:故入道定信 法金剛院 額:入道殿下 後戸御室
寝殿 故入道定信 殿上廊 入道殿下
御湯殿御所 平等院僧正行尊 廊花園左府有仁
(無下に間近き御願どもの扉額など、また誰か御願ども知らぬ事は、無下なれば少々記したり。)
たいへん身近な御願などの扉・額など、また誰でも知っていなければならない御額などの物は、ちょっと書き記しました。

(悠紀主基の御屏風書ける人々)
悠紀・主基の御屏風を書いた人々
醍醐野美材 朱雀 村上道風 冷泉時文
円融 花山 一条沙理 三条 後一条行成
後朱雀定頼 後冷泉 後三条 白河兼行
堀河伊房 鳥羽本院定実 景隆ィ 章網 崇徳新院定信 近衛
後白川当院朝隆 二条院伊行 六条院 高倉当今朝隆

(能書の人々)
能書の人々
弘法大師讃岐国人 嵯峨天皇桓武第二皇子 敏行右兵衛督
美材大内記 兼明かねあきら親王中書王 道風内蔵権頭
時文ときふん木工権頭 文正加賀守 佐理左大弁
具平ともひら村上第七皇子 行成権大納言 延幹君えんかんのきみ法師也
文時 定頼中納言 恒柯つねえ
橘逸勢但馬守 関雄下野守兵庫頭 素性法師
兼行 伊房中納言 長季ながすえ土佐守
定実左京太夫 定信宮内権大輔 伊行宮内少輔

弘法 天神 道風 三聖の由世事要略に見ゆ(空海・菅原道真・小野道風を三聖という事が世事要略に書かれています。)

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