現在のように写真機、印刷機のない時代、何かを写すには、書き写すほかにはありませんでした。
昔の複製技法には全部で臨・摹・硬黄・響搨・双鉤填墨・搨模というものがあります。
また、石に筆跡を記録することを模勒上石といいます。
今回は、混用されやすいそれぞれの複製方法について解説していきます。
それぞれの複製技法の確認
二王(王羲之、王献之)の書の真跡として伝わるものはありません。今、伝わっているものはすべて摸本です。ただ、この摸本にもいろいろな種類があって、一様に摸本と言ってしまうわけにはいきません。
むかしから真跡の摸本をつくるのに4つの技法があげられます。臨・摹・硬黄・響搨です。
この4つの区別は宋の張世南の「游宦紀聞」に見えている記事で、宋代以来はこの4つの方法が区別されていました。
臨
臨というのは原本をかたわらにおいて、その原本の書の大小、濃淡、形勢をよく観察してこれに似せて書くことです。
それはちょうど淵に臨むという場合の臨と同じになります。
これは和訓(日本読み)で「みうつし」と言っています。
摹
摹というのは、薄い紙を原本の上におおいかぶせ、原本の書の曲折に従って書くことを言います。
和訓では「しきうつし」と言っています。
硬黄
硬黄というのは、黄蠟(ミツバチの巣から得たロウを精製したもの)を一面にぬりつけた紙を原本の上におおいかぶせ、敷き写すことを言います。
黄蠟を一面にぬりつけると、紙が透明になり、細かい細部までも透かして見ることができます。
古色を帯びた筆跡をうつすのに適しています。
濡れた服がからだにぴたっとつくと肌が見えるのと同じ仕組みだと考えてもらっていいでしょう。
響搨
響搨というのは、暗い部屋の内側に入り、窓に茶碗くらいの大きさの穴をあけ、その穴の上に法書とそれをうつしとる紙をあてて、外からの光線にすかして写しとるというものです。
封筒の中身を光に照らして中身を見ようとすると、なんとなくわかりますよね。
それと同じ仕組みです。
和訓で「あかりうつし」と言っています。
双鉤填墨
しかし、ここまで紹介してきた4つの方法も、時代によって変遷があったので、唐以前のものを見る場合にはこの区別がいくらか異なります。
法書の摸本を作ることは、王羲之が生きていたころからすでに行われていました。
それ以来、宋、斉、梁を通じて、模本の作られた例は、史上においてかなりの例を挙げることができます。
その摸本を作るときに用いられた方法が、双鉤填墨です。
双鉤填墨とは
双鉤填墨というのは、原跡の上に透ける紙を敷いて、文字の輪郭をていねいにとって、内側に墨を原本どおりに入れていくことをいいます。
そしてできたものは、輪郭をしっかりと取っているため、たんに敷き写したものに比べて、数段原本に近いものになり、写真のない時代にこれ以上の模写は考えられないものです。
双鉤填墨はなぜ生まれたのか
王羲之の書が素晴らしいと言われれば、それとそっくりの書が欲しい。書の手本として使いたいとなります。
見て、写す、というのが1番手っ取り早いです。透ける紙が作れるようになると敷き写しをするようになります。
それよりもっと本物に近いものを作ろうと考えて文字の輪を取り、本物とそっくりに墨を入れることを考えつきました。
搨模について
搨模とは、双鉤填墨の技法を使って複製することを意味しています。
また、搨本は法帖が模勒上石(石に筆跡を記録すること)されるようになってから、拓本を意味するようになり、碑帖に関する著録では、拓本のことを搨本と呼んでいます。
模勒上石が行われるようになる唐以前の法書を言う場合の搨本は搨模本の意味です。
王羲之の蘭亭序は搨模で複製された
有名な王羲之の「蘭亭序」は複製されたものがいくつか伝わっていますが、すべてが搨模で、双鉤填墨はありません。
文字の輪郭をとるには文字が小さすぎます。
いくつかある蘭亭序のうちの2種類をかぶせて比較してみると、どの帖も文字の形はきれいに重なります。
しかしそれでも違うように見えるのは、写した人の筆癖、技量などが出てくるからです。
よく私たちが見る「神龍半印本」がよいと言われますが、それははっきり見えるからであって、実は写した人の癖がもろに出ていると言われています。
また、小楷といわれる小さい楷書も、小さすぎて輪郭をとることができません。
敷き写しが取れないため、写した人の技量や、筆癖などが出てしまいます。
そのため小楷は、王羲之の書といっても、数本ある墨跡本は筆意がみんな違います。
王羲之の筆跡である「妹至帖」「姨母帖」「初月帖」などは文字が大きめで、双鉤填墨で複製されたとしています。
複製の難しさ
現代だとクリップやセロファンテープが原本の上に敷く紙のずれをなくしてくれます。
かつてはこういった道具はないため、1行をずれないように写し取ることは不可能でした。
2字、3字つづいている所はなんとかそのまま写しますが、続いていない部分は一息つくごとにずれが出ます。
そのため、双鉤填墨でも、搨模でも、拓本になったものでも、字形は重なりますが行の並びは原本とは違っているということを覚えておきましょう。
臨と模の違い
臨と模は本来区別されるものであり、唐の虞世南、欧陽詢などの書家が、蘭亭序などをうつすときは臨であり、搨書人といった専門の職人がうつす場合は模と呼ぶのが正しいでしょう。
しかし、現在私たちが見られる著録ではこの区別がかなり乱れています。
臨模というキーワードが出てきたら、複製されたもの程度で受け止めておけばよいでしょう。