隷書

隷書(れいしょ)について学ぼう【隷書の書き方・特徴・歴史・古隷と八分隷】【書道】

隷書

隷書(れいしょ)とは、書体の1つです。書体は大きく分けて5種類、楷書かいしょ行書ぎょうしょ草書そうしょ隷書れいしょ篆書てんしょがあります。

隷書は中国の戦国せんごく時代末からしんのころに篆書てんしょを簡略化した実用的な書体として出現しました。

それから時代が下るにつれて隷書の書風は変化していき、かん時代に現在みられる隷書の書風が確立されました。

ここでは隷書が発生してから書体にどのような変化があったのか、時代順に紹介していきます。それぞれの特徴も紹介します。

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隷書の特徴

最初の隷書は、篆書てんしょを簡略化した実用的な書体として使われていました。

早書きのために、篆書のうねうねと曲がりくねる線を数画に分けて書くことで、円転から方折(角張ったかたち)への転換が起こりました。

こうすることでより簡単に速く書けるようになったのです。

成熟した隷書は、篆書よりも線の種類がゆたかです。

篆書の線は、点・直筆(横画、縦画を含む)・曲線の3種類に集約できますが、隷書の線は、少なくとも点・横画・縦画・左はらい・右はらい・湾曲などの形態があります。
長い横画の波磔はたくや左右のはらいには跳ね返すような筆づかいがあり、うねりもあります。

隷書の特徴ついて書かれた書論を紹介

隷書の特徴ついて書かれた古来から伝わる文章(書論しょろん)を紹介します。

中国西晋せいしん時代の書家、衛恒えいこう(?~291)は隷書をつぎのように形容しています。
「あるものは弓なりに曲がり、大きく広々としている。あるものはくしの歯のように並び、針のようにつらなっている。あるものは砥石といしのように平らかであり、墨縄すみなわのようにまっすぐである。あるものはうねうねとくねり、ねじれ曲がっている。あるものは長々と斜めに進み、競って向かっていく。あるものはコンパスを回したようであり、さしがねのように折れ曲がる」(『四体書勢』「隷勢」)

衛恒は隷書の技法にも言及しています。

ひとつは筆勢のつながりをのべたものです。
「長い線と短い線とがたがいに調和し、形はちがっていてもバランスはとれている。筆をふるい軽く上げると、点画が離れていても、筆意ひついは途切れることがない」(『四体書勢』「隷勢」)

もうひとつは字形の安定をのべたものです。
高殿たかどののきを重ね、分厚い雲が山をいただいているようだ」(『四体書勢』「隷勢」)

隷書の歴史を紹介

隷書の展開 ‐書道史上の隷書の位置‐
隷書の展開 ‐書道史上の隷書の位置‐

隷書は篆書の早書きとして生まれた書体ですが、現在よく見られる隷書はどのように発展してきたのでしょうか。

中国の時代順に隷書の歴史を紹介します。

紀元前300年前ごろ:隷書(古隷)が出現する

秦時代の隷書(古隷):雲夢睡虎地秦簡
秦時代の隷書(古隷):雲夢睡虎地秦簡

戦国時代がおわり、秦が統一国家となると、秦時代に日常的に使われていた隷書が、前漢時代に一般化し、準公用的な書体となっていきました。このころの隷書を「古隷これい」といいます。

古隷これいにはまだ篆書のおもむきが残っていて、隷書の特徴である「横画は水平・縦画は垂直」といったきまりは確立していません。また、古隷には波磔はたく(右払い)がありません

中国の戦国せんごく時代後期から前漢ぜんかん時代初期にかけて、地方役人の公文書、私信、書籍といったものにはすべて実用的に古隷これいが使われていました。

漢隷ー簡牘と碑刻

古隷これいに残っていた篆書的要素はかん時代に入ると次第に消えてゆき、およそ前漢ぜんかん中期には「漢隷かんれい」〔八分はっぷん〕と呼ばれる書体が成立しました。

水平な横画と垂直な縦画、左はらいと右はらいが漢字の「八」の字のように開く字形、角張った筆づかい。そして波磔はたくがある隷書です

漢隷かんれいと一口でいっても多種多彩で、線に丸みのあるものもあれば、角張ったものもあり、文字の概形が正方形に近いものもあれば、扁平へんぺいなものもあります。

漢隷の書き手は、おおくがその地の官署に努める書吏しょり、すなわち文書を扱う役人でした。書吏しょりの地位は高くなく、碑文の書者が書名する習慣もなかったため、かれらの名前を知るすべはありません。

漢時代の簡牘の隷書

漢時代の簡牘の隷書:武威磨嘴子漢簡
漢時代の簡牘の隷書:武威磨嘴子漢簡

漢時代には書写材料として、竹や木の簡牘かんとく布帛ふはく・紙が使われていました。

漢時代にはまだ高い机と椅子はなく、座る姿勢は跪坐きざ(正座に近い座り方)でした。そのため、簡牘に文字を書くときには、左手に簡を持ち、右手は単鉤法(筆の握り方)で筆をななめに持って書きます。今日の私たちがペンで書くときのようにです。

漢時代の毛筆は、筆頭は小さくとがっていて弾力に富んでいました。幅約1センチの簡牘に小さな文字を書いたので、細字に特化した筆です。

簡牘の墨跡には、石に刻された碑の隷書では及びもつかない躍動感のある筆勢と独特の味わいをはっきりと見ることができます。

漢時代の石碑の隷書

漢時代の隷書:乙瑛碑
漢時代の隷書:乙瑛碑

今日に伝わるかん時代の碑に刻された隷書(漢隷かんれい)は、大部分が後漢ごかん時代(25~220)に作られたものです。

一般的に隷書の特徴として挙げられる字形の扁平さと波磔が協調された隷書はこの時代の隷書から来ています。

後漢時代中期になると、盛んに碑が建てられました。

王侯や大臣が聖地を訪れた記念にその土地の人が碑を建てるということもあれば、地方長官が年老いた人民のために橋を架けたり、道路を修復した際に、その功績を称える碑を建てるということもありました。

後漢時代には孝行が重んじられ、地方政府も「孝」を官僚の選抜基準にしたほどです。「孝」の名声を得ようと、財産をなげうって親のために立派なお墓を作り、碑を建てる者もいました。

石碑制作が盛んに行われ、その結果技術が高まり、頌徳碑として「乙瑛碑いつえいひ」「曹全碑そうぜんひ」などの隷書の名品が制作されました。

石碑に刻された隷書は、字形が整っているだけでなく、文字の並びも整っています。

東晋時代の「変型」隷書 

東晋時代の隷書:爨宝子碑
東晋時代の隷書:爨宝子碑

東晋とうしん時代(300年ごろ)になると、隷書にとって代わって楷書かいしょが正式書体となります。そのため隷書の時代は終わります。

とはいえ、公的な碑を建てる際には、かん西晋せいしん時代の伝統を踏襲し、前と変わらず隷書が採用されました。したがって東晋をはじめとした南朝なんちょうの人々は隷書を「銘石書めいせきしょ」と呼びました。

東晋時代の隷書は、石のブロックを積み上げたような太い四角形の横画と縦画が特徴です。時代が下るにつれて法直化の一途をたどります。

これは意図的に変化をつけたのではなく、日常的には使われなくなった漢時代の隷書(漢隷かんれい)を十分に習熟しないまま隷書の特徴を表現しようと書いた結果、このような奇怪な隷書になったと考えられています。

唐時代の隷書は手本に使われる

唐時代の隷書:玄宗「石台孝経」
唐時代の隷書:玄宗「石台孝経」

とう時代の隷書(唐隷とうれい)は漢時代の隷書(漢隷かんれい)をより力強く豊満にしたものが多く制作され、後世でも高く評価されています。

とう時代前期の皇帝たちはみな書道を愛好しました。その中でも第6代皇帝・玄宗げんそうは好んで隷書を書きました。玄宗の書いた隷書「石台孝経せきだいこうきょう」もおおらかな字形と豊満な線が特徴的です。

玄宗の即位後、隷書を得意とする書道家が多く登場しました。徐浩、韓択木、梁昇卿、史惟則、蔡有鄰、李潮らが有名です。

かん時代の隷書(漢隷)はとう時代の隷書(唐隷)の古朴こぼくさには及びませんが、隷書を後世に伝えるという点で大きな役割を果たしました。後世の人々にとって漢時代の隷書を目にすることは難しかったため、唐時代の隷書が学ぶための手本とされることも多かったのです

宋・元・明時代の隷書

米芾(宋時代)、趙孟頫(元)、文徴明(明)の隷書
米芾(宋時代)、趙孟頫(元)、文徴明(明)の隷書

しん時代以降、書道家たちはかん時代の隷書(漢隷かんれい)を正統としてきました。

しかし一般の書道家たちにとって漢隷の拓本は容易に目にすることのできないものでした。

こうした状況が続いたため、漢隷はあくまで理想であって、実際はとう時代の隷書(唐隷とうれい)によって隷書を学ぶほかなかったのです。

それはねこをみてとらを描くようなものです。

したがって、そうげんみん時代の隷書は取り上げるほどのものがありません

有名な書道家である米芾べいふつ(宋時代)、趙孟頫ちょうもうふ(元)、文徴明ぶんちょうめい(明)の隷書を見ると、線がぶよぶよと太かったり、楷書の筆づかいが混ざっていたりします。字形は往々にして縦長で、整っていません。

つまり、宋・元・明時代の隷書は、漢隷かんれいの重厚感や古朴こぼくなおもむきが欠けているのです。

清時代に隷書がふたたび復興する

清時代の隷書作品:鄧石如「四体帖」
清時代の隷書作品:鄧石如「四体帖」

しん時代になると、金石学きんせきがく考証学こうしょうがくが盛んになります。学者たちはかん時代に建てられた碑を求めてあちこちを訪ねまわり、拓本たくほんをとっては互いに贈り合いました。

こうして直接漢隷かんれいを学ぶことが可能になります。

しかし、当時すでに碑面の傷みのために文字の点画が不明瞭で、筆法を理解することは難しいものがほとんどでした。

黒地に白抜きの文字に、石の割れ模様が入り混じる拓本から本来の筆跡を見極め、筆づかいを探求し、字形を把握するーこれらは清時代初期の書道家たちが誰よりも早く取り組んだ課題ですが、そのためには時間をかけて書く経験を積むことが必要でした。

したがって、漢時代の碑を通して漢隷の古法を把握するという目標はまだ模索段階にあったとはいえ、漢隷から直接学ぶという正しい道筋をようやく歩み始めたのです。

それから100年後の乾隆けんりゅう嘉慶かけい期になると、先輩書道家たちの経験と教訓を汲んで、ついに隷書の復興期をむかえました

扁額へんがく対聯ついれん条幅じょうふく中堂ちゅうどう(広間の中央に掛ける大字の作品)などが大字の隷書で書かれ、多彩なスタイルが花開きました。

誰もが漢隷を学んだため、清時代の隷書には共通点があります。線は質朴かつ重厚。字形は整った中にも新味や奔放ほんぽうさがあります。

それ以降の隷書を書く書道家たちも先人が探求した漢隷の古法を引き継ぎ、その伝統が途絶えることはありませんでした。

まとめ

  • 古隷これいとは、篆書から隷書へ移行していく過程の書体。篆書を簡単にしたもので、まだ波磔はたく(右はらい)がない。
  • 漢隷かんれい八分はっぷん)とは、かん時代からの隷書のことをいい、波磔はたくがある。漢隷が隷書の典型となる完成された姿。
  • 時代が進むと正式書体が隷書から楷書へと変わる。→隷書を十分に学ぶ人がいなくなるため、書体がくずれていく。
  • とう時代は文化活動(書道)が盛んだったこともあり、積極的に隷書を学ぶ人が現れる。→再び漢時代の隷書(漢隷)のような整った隷書が復活する。
  • そうげんみん時代になると、いったん隷書の勢いは衰える。
  • しん時代には金石学きんせきがく考証学こうしょうがくが盛んになったことにより隷書を積極的に学ぶ人が増えた。

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