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消息経(しょうそくぎょう)について解説/消息経の遺品も紹介 

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消息経(しょうそくぎょう)とは

消息経(しょうそくきょう)は、故人の供養方法の1つで、生前に送られた手紙を集めて、き返し、色紙に染めて、写経したものです。

もともと平安へいあん時代では、手紙のことを、消息しょそこふみ書札しょさつなど、いろいろな呼び方がされていました。

消息経しょうそくきょうという呼び方がとくに用いられるようになったのは、明治めいじ時代中期からで、美術史や書道史の学問が次第に固められていく過程に生まれた専門用語です。

したがって、これら手紙をき返して写経したものを、今日では一般に消息経とよんでいます。

消息経が行われた記録

消息経のことが記録にはじめてみえるのは、『日本紀略にほんきりゃく』(886年(仁和2)10月29日条)です。

二十九日甲戌。正二位藤原朝臣多美子薨ず。右大臣贈正一位良相の少子にして、清和天皇の女御なり。天皇入道の日、出家して尼となる。晏駕あんが(天皇が亡くなる)の後、平生賜うところの御筆の手書を収拾して、紙をつくり、もって法花経を書し、大斎会を設けて、上皇の恩徳に酬い奉るなり。

『日本紀略』(886年(仁和2)10月29日条)

この記録は、清和天皇せいわてんのう女御にょうご藤原多美子ふじわらのたみこが亡くなったことを伝えるものです。

内容としては、
清和天皇せいわてんのうとともに、879年(元慶3)5月8日、落飾らくしょくしてあま(出家して仏門にはいった女性)となりました。清和天皇は、その翌年12月4日、31歳の若さで亡くなります。追慕ついぼの情もだしがたく、この女は生前清和天皇からもらっていた自筆の手紙や文書などを取り集めて、それを料紙に仕立てて、みずから筆を運んで『法華経ほけきょう』を書写した
といいます。

この文章から、亡くなった人をしのんで、その人の筆跡がしたためられた紙に写経するという文化があったことがわかります。

消息経の料紙の仕立て方

手紙の紙を写経の料紙として仕立てるときの方法を紹介します。

主に以下の3つの方法があります。

  1. 手紙をこん色に染めて、その上に金泥の写経をする。
  2. 手紙の反故を水に浸してつき砕き、煮て、その繊維を再度き直す。
  3. 手紙の紙をそのまま継いで、表面にそのまま直接写経する、裏面の白紙の部分に写経するもの。あるいは表面に雲母きらをぬって文字を隠して、その上に写経する。

1番は、手紙の文字が書かれた紙をあい染汁そめしるに何度も何度も紙をけて乾かし、また浸けて乾かし、という操作の繰り返すことで染め上げたものです。
これによって、紙がこん色になるので、もともと書かれていた手紙の文字も見えなくなります。

消息経の遺品を紹介

消息経の遺品を紹介します。

  1. 宝篋印陀羅尼経ほうきょういんだらにきょう 1巻 大阪・金剛寺蔵
  2. 仏説転女成仏経ぶっせつてんにょじょうぶっきょう 1巻 東京国立博物館蔵
  3. 大毘盧遮那だいぴるしゃな成仏神変加持経じょうぶつじんぺんかじきょう巻第四 1巻 奈良国立博物館
  4. 金字阿弥陀経きんじあみだきょう 1巻 栃木・輪王寺蔵
  5. 仏頂尊勝陀羅尼ぶっちょうそんしょうだらに 1巻 大東急記念文庫蔵

1,2は平安時代の遺品、3,4,5は鎌倉時代のものです。

宝篋印陀羅尼経

1番の宝篋印陀羅尼経ほうきょういんだらにきょうは、さまざまな反故ほごを継いで1巻をつくり、金泥のかいを引いて、金泥きんでいで書写をしています。反故の表面に、そのまま直接写経をしています。

反故にはいろいろなものがあり、消息(1通)・歌集(未詳・46首)・今様いまようの歌詞(13首・平安時代の歌の1つ。七五調の4句からなる。和賛をもととしたものがおおく、とくに平安末期に流行しました)・願文や結縁けちえん文などが継がれています。

今様いまようは、後白河法皇の『梁塵秘抄りょうじんひしょう』などとともに、数少ない平安末期の今様の歌詞を補う点で貴重な遺品です。

書写年代については、中の
「嘉応2年(1170)8月15(日)馳疎筆了。安応聖囚最末弟砂門寂真」
から把握できます。

仏説転女成仏経

仏説転女成仏経
仏説転女成仏経
仏説転女成仏経

2番の仏説転女成仏経ぶっせつてんにょじょうぶっきょうは、仮名の消息2枚を継いだ、短い写経です。

その上にじかに金泥きんでいで文字を書いています。

消息部分は、大ぶりな仮名文字でかかれています。それを書いた人の追善のための写経供養であると考えられます。

大毘盧遮那成仏神変加持経巻第四

大毘盧遮那成仏神変加持経 巻第四
大毘盧遮那成仏神変加持経 巻第四 上
大毘盧遮那成仏神変加持経 巻第四
大毘盧遮那成仏神変加持経 巻第四 中
大毘盧遮那成仏神変加持経 巻第四
大毘盧遮那成仏神変加持経 巻第四 下

3番の大毘盧遮那だいぴるしゃな成仏神変加持経じょうぶつじんぺんかじきょう巻第四は、ふつう『大日経』とよばれるもので、7巻からなります。

仮名の消息を継ぎ足した、長い1巻です。

両氏の両面、仮名の文字の上を雲母きらで塗りつぶしていますが、文字の判読は可能です。変転自在、流麗な仮名消息が書かれています。

巻末にみえる、明治8年7月、東大寺惣持院住職佐保山晋円の筆によれば、仮名の消息の筆者を但馬守平経政、そして、経文の書写者は仁和寺の守覚法親王(1150~1202)といいます。

金字阿弥陀経

4番の金字阿弥陀経は、金銀の切箔きりはくをちりばめた華麗な装飾経そうしょくきょうです。金泥で『阿弥陀経あみだきょう』の経文を書写しています。

本紙の第2紙あたりに、金銀の箔越しに、地紙に美しい仮名文字がみえます。読んでみると、

あさひかげにほへるやまのさくらばな
つれなくきえぬきかとぞみる

と書いてあります。

歌は新古今和歌集時代の代表歌人である藤原有家ありいえ(1155~1216)の歌で、『千五百番歌合』に収められているものです。

仏頂尊勝陀羅尼

仏頂尊勝陀羅尼ぶっちょうそんしょうだらには、ごくふつうの消息経です。

この経の書写者は明らかではありませんが、珍しく巻末に奥書があります。

承久四年三月三日丑刻、許於法性寺禅屋書写了。為過去出霊出離生死証大菩提、以後亡者手跡之裏、令写真文云々。

もじどおり、まさしく「過去の出霊出離生死証大菩提」のための写経で、供養の意趣が述べられています。

このほか、たとえば、鳥取・大雲院に蔵されている「金字法華経」巻第2・第4(重要文化財)などのように、紙の裏の消息と、表面の写経とが1人によって書かれたという、珍しい遺例もあります。
これは、伏見天皇ふしみてんのうが、みずから逆修ぎゃくしゅ(生きているうちに、自分の冥福を祈る仏事をすること)のために、身辺に散乱する自身の消息をあつめて料紙をつくり、その裏面に金泥で写経をしたものです。

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