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山傅(ふざん)について解説/書道作品の特徴・書き方を紹介/作品も紹介

2025 4/12
中国の書家
2025年4月12日

山傅(ふざん)は、明末清初みんまつしんしょの長条幅ちょうじょうふくの連綿書れんめんしょを代表する書家です。

明末から清初にかけては、自我を強く打ち出し、魏晋時代の伝統的な書風にこだわらない個性的な表現が流行します。革新的な書人が多く現れ、とくに王鐸おうたく・傅山ふざんの2人が有名です。

今回は、傅山について、作品の特徴・書き方・作品も紹介していきます。

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目次
  1. 傅山(ふざん)の基本情報
  2. 傅山の人生
    1. 明の時代は教壇に立つ
    2. 清王朝への抵抗
    3. 清王朝の役人として招かれるも辞退する
    4. 郷里での最期
  3. 傅山(ふざん)の書道作品の特徴・代表作品
    1. 傅山の書学歴
    2. 傅山(ふざん)の書道作品の特徴
  4. 傅山(ふざん)の作品には代筆されたものもある

傅山(ふざん)の基本情報

傅山の肖像
傅山の肖像

傅山ふざんは1607年(明の万暦35年)~1684年(清の康熙23年)に生きた人です。

陽曲県ようきょくけん(山西省さんせいしょう太原市たいげんし)の出身。

初めは名前を鼎臣ていじん、字あざなは青竹せいちくとしていましたが、のちに名前を山さん、字あざなを青主せいしゅと改めました。

雅号がごうは非常に多く、石道人せきどうじん・嗇廬しょくろ・丹崖子たんがいし・随厲ずいれい・六持りくじ・朱衣道人しゅいどうじん・僑山きょうざん・僑黄老人きょうこうろうじん・真山しんざん・五峰ごほう道人など、他にも30余りあります。

彼は代々学者の家に生まれ、幼少のころから才能に恵まれ、20歳の時には、十三経じゅうさんぎょう(経典)・諸子しょし・史籍しせきを読破し、仏教・道教にもわたって真理を探究し、イスラム教の教義にも親しみました。

透視ができる霊能力を備えていたともいいます。

また医学者としても有名でした。彼の治療は、普通の施術とはちがっていたらしく、“仙医”と呼ばれました。

傅山の人生

傅山についての伝記を読むと、性格は非常に剛直で、厳格な人であったことがわかります。

明の時代は教壇に立つ

崇禎すうてい16年(1643)には、山西省晋陽の三立書院で学問を教えていました。

学者として名高い顧炎武こえんぶ・閻若璩えんじゃくきょらとも親しく交際し、学問が広く深い人でした。

清王朝への抵抗

傅山が生まれた明時代末期は、中国各地で内乱が相次ぎ、政治的にも経済的にも不安定な状況下にありました。

崇禎すうてい17年(1644)38歳の時、ついに清しん軍の侵略により明みん王朝が滅んでしまいます。

傅山が三立書院で教壇に立った翌年のことです。

明滅亡後、傅山は道士(道教を広める人)の朱衣をまとい、放浪して地方に行っては清朝に抵抗する活動に参加しました。朱は明王朝を象徴しています。

1654年(順治11年)には投獄されています。

戦乱のために一家の財産が傾き、生まれ故郷こきょうにいるときは、旧石器時代のようなほらあな生活をして母を養う生活が20年も続きました。

その間の生計は、医術調薬でまかないます。薬局に「衛生堂薬飼」と自分で書いた看板を掲げていたそうです。

清王朝の役人として招かれるも辞退する

清の康煕こうき17年(1678)、皇帝は特別に博学鴻詞科はくがくこうしか(人材登用の科目名)を設け、かくれた才能のある人材を選抜せんばつしました。ただし、この政策は、一面では清王朝に反抗する知識人をうまく手なずけ従したがわせる目的もありました。

この時72歳だった傅山も、この政策の対象にされます。給仕中の李宗孔りそうこうらによって博学鴻詞科はくがくこうしかに推薦され、翌年には北京に連行されもしましたが、彼は病気を理由にかたく辞退し続けました。

彼は清朝に仕えることなく、一生明朝に対する忠義を守ったので後世までも尊敬されています。

郷里での最期

その後は郷里において書画の生活に明け暮れ、康煕こうき23年、78歳で亡くなりました。

傅山(ふざん)の書道作品の特徴・代表作品

傅山の書学歴

まず、傅山がどのように書道を学んでいったのかを紹介します。

傅山は書道を8歳で始めました。

練習した書家の筆跡は、最初は鍾繇しょうよう(魏の政治家・武将・書家)、次に王羲之おうぎし・王献之おうけんし(その息子)、また虞世南ぐせいなんの小楷を学び、さらに顔真卿がんしんけいの「顔氏家廟碑がんしかびょうひ」「争坐位文稿そうざいぶんこう」、そして王羲之おうぎしの「蘭亭序らんていじょ」に進んだといいます。

また一時、元げんの趙孟頫ちょうもうふや明末みんまつの董其昌とうきしょうの真跡に接して、2人の流麗さを習ったものの、こうした手先の技巧ぎこうの多い書は、俗ぞくでよくないと気づき、顔真卿がんしんけいの丸みのある素朴な書を学びました。顔真卿の書法の習得は、傅山の家の伝統でもありました。

しかし、顔真卿の書法をいくら習っても先祖のように書けないことを恥じ、彼の子供や孫には、「書作の基本は人格だ、すぐれた人物になれば書も自然と奥深くなる」(「作字示子孫」)という意味の詩を趙孟頫ちょうもうふ風で書いて見せ、こんな風になるなよ、手先ではごまかせないぞ、と戒いましめました。

傅山(ふざん)の書道作品の特徴

傅山は、楷書・行書・草書・隷書・篆書の5書体ともによくしたとされていますが、隷書の作品は確かな作品をみません。

傅山の楷書作品「心経」
傅山の楷書作品「心経」

楷書は鍾繇しょうよう風の要素を加え、家学だった顔真卿がんしんけいの書法が根底にあります。

傅山の行草作品:草書五言律詩軸
傅山の行草作品:草書五言律詩軸

傅山の代表的な物といえば、行草で書かれた長条幅の作品でしょう。

行草の作品は多様な表現がなされており、それぞれの作品をひとくくりにすることはできません。とくに、連綿主体の迷路のような複雑な筆路をしている作品のイメージが強いです。偽物の作品も多く出まわっています。

傅山の篆書作品:天龍禅寺五言詩篆書軸
傅山の篆書作品:天龍禅寺五言詩篆書軸

金石に目を向けた先覚者の1人で、篆書の作品も残しています。

傅山(ふざん)の作品には代筆されたものもある

傅山の作品の中には、本人ではなく他の人に代わりに書いてもらう「代筆だいひつ」の作品もあります。

代筆には甥おいの傅仁ふじん(1638~1678)が担当していましたが、その死後は、とても似た作品を書いた1人息子傅眉ふび(1628~1684)が担当しました。

また傅眉の長子傅蓮蘇ふれんそも祖父傅山の書風を受け継ぎましたが、妍美に劣っています。

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