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柳公権(りゅうこうけん)の書の特徴・逸話も紹介

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こんにちは、中村です。

柳公権は顔真卿がんしんけいの後継者と知られ、彼の楷書には明らかに顔真卿の影響が認められます。

今回は、柳公権について、書風の特徴について書いていきます。
また、彼についての逸話を知ることで、古典への理解を深めることができるのではないでしょうか。

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柳公権の概要

柳公権はあざな誠懸せいけん、京兆華原の出身で、役人の家に生まれます。

官史としても平穏な道を歩み、その間に書家としても成功します。

幼い時から学問が好きで、12歳にして辞賦じふにたくみでした。

元和の始め進士試験に合格して官史としての一歩を踏み出し、穆宗ぼくそう敬宗けいそう文宗ぶんそうの3代に仕え、侍書学士、中書舎人などを経て、太子少師から太子太保まで進みました。

官界の権力の座には縁がありませんでしたが、書家として成功するためにはこの方がよかったでしょう。

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書家としての柳公権

柳公権は、顔真卿がんしんけいの後継者と見られています。

顔真卿を学び、そこからさらに独自の新境地を開いた人として知られています。

顔真卿は安史あんしの乱によって突如歴史上に登場してきてから、李希烈りきれつの反乱において悲劇の主人公としてその厳しい生涯を終えています。
よく顔柳二家と並べて呼ばれますが、柳公権は顔真卿のように激しい人生を歩んだ人ではありません。

柳公権のまわりには、彼に匹敵する書人がいませんでした。

高位高官の家では柳公権に墓碑ぼひ墓誌ぼし(お墓の銘文)を頼みました。
そうしなければ子孫が世間から不幸もの扱いにされとといいます。

また、外国から使者が朝廷へやって来た時、柳公権の書を購入するためのお金を準備したと伝えられています。

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柳公権の書風の特徴

顔真卿と柳公権の書の特徴をあらわす言葉に「顔筋柳骨がんきんりゅうこつ」というものがあります。

顔真卿の字と比べると、点画の画の部分が細く、骨ばっています。

字形も顔真卿のように正方形ではなく、やや縦長です。

顔真卿のように堂々と構えた重厚感には乏しいですが、その代わり、強くするどく、またさわやかで涼しさが感じられます。

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柳公権の逸話

ここからは、新、旧「唐書」から柳公権に関する逸話いつわをいくつか紹介していきます。

これらのような逸話から、柳公権とはどんな人だったのかうかがうことができます。

逸話1

穆宗ぼくそうが皇帝に即位したとき、皇帝は柳公権を翰林侍書学士に任命します。
ある時、穆宗は柳公権に筆の扱い方を質問しました。

柳公権はそれに対して、
「筆の扱い方は心が重要です。心が正しければ、筆の扱いもうまくいきます」
と答えました。

穆宗えりを正しました。それが上達に向けて重用なことだと知ったからです。

この話はとても有名で、書道の心得を説いた名句となっています。

逸話2

文宗ぶんそうの時代も、柳公権は皇帝からの信任が厚く、召されてよく御殿にあがっていました。

そんな時、燭台しょくだいの火が消えても話は尽きず、そのためそばに仕えている人は溶けて流れたろうを紙で吸い取り、燃え尽きた燭を新たに継ぐことがしばしばありました。

逸話3

ある時、未央宮びおうきゅうに出向くことがあり、皇帝は庭園にれん(皇帝の乗り物)を停め、柳公権をうやまって言いました。
「われに一喜あり。長年郊外の兵に衣服を配給することができませんでした。ところが、今年は2月に春の服を配給し終えることができました」

それに対して、柳公権がお祝いを申し上げると、

「われを祝福するのであれば、詩でしてみよ」
と、皇帝はおっしゃいました。

柳公権がその詩を声に出して歌って見せます。
「去歳闘いなしといえども、この年末だ帰ることを得ず、皇恩何を以て報いん。春日春衣を得る」

宮人たちもまた柳公権にこのように詩を求めることがよくあったそうです。

逸話4

またある時、皇帝は便殿に六学士を召した時、談たまたま漢の文恭倹帝のことに及びました。

文帝の恭倹であったことが話題になったのです。

その時、皇帝は己が袂をあげて、
「自分の場合は、これを3度洗濯した」
とおっしゃいました。

恭倹敢えて文帝に劣らずという意味でした。
学士たちはみんな皇帝の倹徳を称賛しましたが、柳公権は1人黙っていました。

皇帝が不審に思って聞いてみると、

「皇帝はひたすら賢良をすすめ、不肖を避け、諫諍を入れ、賞罰を明らかにするべきです。それが天子のなすべきことです。衣服の洗濯のごときは小節にすぎないと思う」
と、柳公権は答えました。

逸話5

柳公権の書家としての収入は莫大ばくだいなものでしたが、すべて家の雑用をする家僕かぼくに盗まれることとなります。

さかずきが1つだけ入っていましたが、それすらも箱の中から消えてなくなっていました。

柳公権はそれを知ったとき、「ああ、銀杯羽化うかせり(杯がちょうのように羽化して飛んで行った)」と言ったそうです。


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