中国の法帖隷書

礼器碑(れいきひ)について解説/内容・作者・有名書家たちによる評価も紹介

中国の法帖

後漢ごかん時代(25年~220年)は、中国書道の歴史上で最も建碑けんぴが盛んだった時代です。

約百数十碑が建立されたといわれており、その中でも曹全碑そうぜんひ礼器碑れいきひとはともに最も正統的な代表碑として高く評価されてきました。

曹全碑は優美、礼器碑は方正というように、それぞれ違った雰囲気を持っています。

今回は、方正な礼器碑について詳しく解説していきます。昔の各書家の評価も紹介することでこの碑の権威性といったものも伝えられたらと思います。

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礼器碑(れいきひ)の基本情報

礼器碑
礼器碑

礼器碑れいきひがつくられたのは、いまからおよそ1800年余り前、後漢の第11代皇帝(桓帝かんてい)の永寿えいじゅ2年(156)のことです。
正確な日にちについては、古くから9月5日・7月5日の2つの説があります。

山東省さんとんしょう曲阜きょくふ県の孔子廟内に造立され、今日でも現存しています。

大きさは165×74㎝の四面碑。

形式は、碑陽(碑の表面)・碑陰(碑の裏側)・碑側(左右の側面)ともに文字が刻されています。

碑陽は16行、1行が36字で、序文・銘文の終わりには韓勅かんちょくなど9人の題名があります。
碑陰は3行、1行が17字、碑側右は4行で4字ずつ、左は3行で4字ずつで、建碑に際して寄付した人々の官職、名称、寄付の額が記されてます。

礼器碑の内容

碑文の内容は、の国の丞相じょうしょう(国政をつかさどった最上位の行政官)だった韓勅かんちょく(人名)という人の功績が称えられています。

韓勅かんちょくの功績とはどのようなものだったのかを紹介します。

韓勅は孔子こうしを尊敬し、孔子の子孫の一族に対しては一般の人々とよりも特別な待遇をするべきであるとして、徭役ようえき(強制労働)や徴兵などを免除して心からの礼を尽くしました。

また韓勅は、秦の始皇帝の暴挙以来、あれはてていた孔子の廟を修造し、祭典に使うもっとも大切な器具類つまり礼器を整備しました。

さらに孔子の旧宅の修復や、廟(宗教建築)のまわりの排水事業などをも行いました。銘文には、韓勅によって整備された礼器が廟の中に納まると、天雨降り潤い、百姓は喜び、国を挙げて祝うとも書かれています。

このような韓勅の、孔子廟修造を中心とするすばらしい行いに感動した周辺国の人々は、その功績をあおしたい、後の世代にその名を伝えようと石に刻したのがこの礼器碑なのです。

礼器碑のその他の呼び名

礼器碑の原碑
礼器碑の原碑

題額(碑額)に題名が刻されていないため名称は定まっていません。

そのため、名称は古い著録によっていろいろな呼ばれ方をしています。

たとえば、天下碑録(隷釈所収)には魯相韓勅復顔氏繇発碑、欧陽修の集古録(巻2)には修孔子廟器碑、趙明誠の金石録(巻15)には韓明府孔子廟碑、洪适の隷釈(巻1)には魯相韓勅孔子廟器碑などと書かれています。

礼器碑の筆者は誰?

ところで、このような高い評価をもった礼器碑の筆者は誰だったのでしょうか。

確かな筆者はわかっていませんが、古来3つの説が伝えられています。

鍾繇説

書者については、かなり以前から魏の鍾繇しょうようであるという伝説があります。

『袞州府志』には「大尉(鍾繇)の手に出づ」とあるそうですが、礼器碑の成立年代は156年、鍾繇の生卒は151年~230年ということからその説は当てはまらないと言えるでしょう。もし本当なら鍾繇が子供の頃に書いたことになってしまいます。

そのほかの説として、明確な筆者は分かっていませんが、翁方綱おうほうこうによる「七人書写説」と、王澍おうじゅによる「五節八変説」を紹介します。

七人書写説

翁方綱おうほうこうによる「七人書写説」とは、碑文に7人の署名があるから7人が分担して書かれているのではないかということです。

その根拠として、精拓旧本で見える文末の1行に「七人所作半泐」とあります。翁方綱はこれを「書する所」と解釈し、7人が集まって書いたとしたのです。

五節八変説

王澍おうじゅによる「五節八変説」とは碑全体は1人が書くのですが、あとから書き足したり、文字に大小・痩肥があるため書風の変化が生じているというものです。

私個人の見解をさせていただくと、かりに何人かの別の人が書いたとしてもその書風はほぼ一貫性が見てとれるので、あえて7人にする必要があるとは思いません。したがって、この1人で書いたという説の方が有力なのではないかと思います。

礼器碑に対する各書家による評価

礼器碑は百数十にものぼる漢碑のうち第一品として古くからもっとも評価されています。

礼器碑に対して、昔の中国・日本の各書家たちによる評価を紹介します。

書家の方々の評価態度を見れば、礼器碑が漢代の代表的な古典としてどれほど高く評価されているのか分るでしょう。

郭宗昌による礼器碑の評価

明代のかく宗昌そうしょう(?~1652)は礼器碑を神のたすけによるものであるとして、
「その点画の妙は筆に非ず手に非ず、古雅前なし。これを神功に得て人造に由らざるがごとし。(『金石史』巻上)」
と評しています。

孫承沢による礼器碑の評価

清代に入ると、考証学こうしょうがくが盛んになるとともに礼器碑への関心はさらに高まってきます。

収蔵家孫承沢(1592~1676)は、
「書法の美。旧石の完、書家これ〔礼器碑〕と曹全〔碑〕とを得てこれに従事せば他は問うことなかるべし。(『庚子銷夏記』巻5)」
と絶賛し、漢隷を学ぶには、礼器碑と曹全碑の2つさえあれば他はなくでもよい、とまで述べています。

郭尚先による礼器碑の評価

郭尚先かくしょうせん(1785~1832)もまた、
「漢人の書は、韓勅造礼器碑をもって第一となす。~意境まさに史晨・乙瑛・孔宙・曹全の諸碑の上にあるべし。(『芳堅館題跋』)」
と、ほかの碑と比べて格別な注目をよせています。

潘存による礼器碑の評価

潘存はんそん(?~1892)はまた、
「礼器碑は方整峻潔、楷書の廟堂・醴泉あるが如し。自ずからこれ分書の正宗なり。(『学書邇言』引)」
と、礼器碑を分書(八分隷)の中で、もっとも正当本格なものとみています。

日下部鳴鶴による礼器碑の評価

日下部鳴鶴くさかべめいかくは明治時代に活躍した日本の政治家・書家です。鳴鶴は隷書の真髄を示し、漢碑について特に詳しい人物として有名です。

この礼器碑に対しては、『論書三十首』のなかで、
「孔廟礼器碑、漢代第一に推す。精妙、筆に神あり、平正、奇逸を生ず。」
と評価しています。

樋口銅牛による礼器碑の評価

書論家として著名な樋口銅牛ひぐちどうぎゅうは、
「折刀斬鉄式ですらあればそれが古意あるものと決定的に断ずるのは、書風の進運発展の経路に闇い者であるかのように吾人の脳底には感ぜられるのである。波撇(波勢のこと)妍妙なる所の礼器・曹全が後漢八分の代表作であらねばならぬ。(『書学史藁』)」
とまで論断しています。

中村不折による礼器碑の評価

この礼器碑の宋拓旧本の収蔵者でもあった中村不折なかむらふせつは、
「この碑は技巧ということの一番発達した最上のものというてよく…実に堂々とて森厳犯すべからずの趣がある。…後漢の隷書八分の帝王と称するもいずれも褒めすぎるというものはあるまい。(隷書史、『歴史公論』第四巻第三号)」
と、これまた最も高い評価をしています。

比田井天来による礼器碑の評価

比田井天来は、隷書学習の基本的な代表古典3種類をあげ、その中で礼器碑に対し、
「孔廟礼器碑は品のいい書であるが、少し力が乏しい。上手に臨書しないとものにならない。」
と論評を加えています。

臨書に使える礼器碑の画像

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