中国の書家

呉熙載(ごきさい)について詳しく解説:清時代の書道家・篆刻家/別名呉譲之(ごじょうし)

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呉熙載(ごきさい)とは

呉熙載像
呉熙載像

呉熙載ごきさい(1799年〈嘉慶4〉~1870年〈同治9〉)は、中国しん時代の書道家・篆刻家です。

はじめ名前を廷颺ていようあざな熙載きさいといい、50歳以降、熙載きさいを名前とし、譲之じょうしを字としました。
さらに64歳のとき同治帝どうちてい載淳さいじゅんの即位(1862)によって、皇帝のいみな載淳さいじゅんに「」の字が使われていたため、敬避けいひし、熙載を改めて譲之を名前としました。

他にも言菴げんあん方竹丈人ほうちくじょうじん晩学居士ばんがくこじなどの雅号がごうがあります。
また彼が師事した包世臣ほうせいしんの字が慎伯しんぱくであるのにちなんで堂号を師慎軒ししけんといいました。

呉熙載ごきさいは嘉慶4年、江蘇省こうそしょう揚州府ようしゅうふ儀徴ぎちょう県に生まれ、儀徴の緒生しょせいに挙げられましたが、科挙かきょ(官僚登用試験)の試験を受けず、平民として売書、売印の生活をおくりました。

官歴がないために呉熙載ごきさいに関する伝記はほとんどないといってよく、蔣宝齢ほうしょうれい『墨林今話』と汪鋆おういん『揚州画苑録』などが主たるもので、ほかの伝記はこれらの情報からとってこられたものです。

彼の生涯の行動範囲はきわめてせまかったようで、故郷の揚州を離れたのは、太平天国たいへいてんごくの乱で揚州ようしゅうが攻められたときのみです。1853年揚州の対岸の丹徒(鎮江)、1858年には揚州東部の泰州に移り姚正鏞ようせいよう(仲海)の家に世話になりました。
太平天国の乱は1864年(同治3年)に鎮圧され国内に平穏が戻ると、その翌年、呉熙載は故郷揚州に帰りました。
揚州に戻ってから6年間、呉雲ごうん(平斎)の家に身を寄せ、72歳の生涯を終えました。晩年は書籍の校勘、棗刻そうこく(版木)に従事しました。

呉熙載と包世臣の関係

呉熙載と師友の関係にあった汪鋆おういんの著『揚州画苑録』には呉熙載の生涯と芸術について以下のように書かれています。

わかくして包慎伯先生入室の弟子なり。小学に𨗉ふかく、その篆書鉄筆は 当世ならぶものなし。作るところの花卉かきもまた風韻絶俗たり。鋆 乱後これに師事し、終日 泰州の姚氏遅雲山館にせり。金石きんせき考証こうしょうに精しく、著に通鑑地理今釈稿あり。帰安の呉平斎観察の処に存す。詩古文辞も皆なたくみなり。」

汪鋆おういんのいうように、呉熙載ごきさいの作品は包世臣ほうせいしんの影響を受けていることがうかがえます。

包世臣とは

包世臣ほうせいしん(1775~1855)は、中国清時代の学者・篆刻家・書道家です。

著書『安呉四種』中の『藝舟双楫』の一編は、阮元げんげん以来の帖学派じょうがくはを否定し、北碑ほくひを尊重する碑学派ひがくはの書風が正統であると主張し、清時代末期の書道界に指導的役割を果たしました。

鄧石如とうせきじょを師匠と仰ぎ、その業績を高く評価し、清時代において第一の書道家と称賛しました。

呉熙載は包世臣を師匠とした

呉熙載は20歳前に包世臣ほうせいしん知遇ちぐうを得て、その実直な弟子となり、作品だけでなく理論も忠実に継承しました。

包世臣は、『論書』の『述書上』で、
「述書・筆譚の稿づるや、録副する者多し。江都の梅植之ばいしょくし蘊生うんせい儀徴の呉廷颺熙載、…皆な其の法を得、作る所 時に余と相い乱る」

といい、当時21歳の呉熙載の名前を、包世臣門下の最高の弟子とされた梅植之ばいしょくしの次に挙げており、忠実な弟子であることを述べています。

実際に現存している作品をみてみても、呉熙載ごきさいの隷書や篆刻は包世臣ほうせいしんが崇拝する鄧石如とうせきじょを祖述し、行草書は包世臣ほうせいしんをほとんどそのまま踏襲しています。

この師匠を尊重する態度は、
魏稼孫ぎかそん(鍚曾)が「師説を篤守せること両漢の経生の風あり」(『呉譲之印譜』跋)
と述べるほどであり、

時には康有為こうゆういがいうように、
呉譲之ごじょうしの嫡伝たり。然れども完白の筆力無く、完白の新理無し」(『広藝舟双楫』説分)
と力強さと独創性の無さを指摘されることもあります。
馬宗霍のように
譲之の行楷は安呉あんご包世臣)の法に束縛せらる」(『雲嶽楼筆談』)
と批判される場合もありますが、当たっていなくもありません。

呉熙載の特徴

呉熙載の作品の特徴は、華麗というより端正という言葉が似合いますが、それが結果的には大きな教育的効果をもたらしました。

呉熙載よりあとの趙之謙ちょうしけん呉昌碩ごしょうせきらはその影響を強く受けた人たちです。

とくに呉昌碩は呉熙載の印譜に跋して、
翁の書画は筆を下すこと謹厳きんげんなり。風韻の古雋こしゅんなるははかるべからず。けだし守る有りて其の迹になずまず、能く自ら放ちて其のえさればなり。其の治印を論ずるも亦た復たかくごとし」
と残しています。

その(正しさ・基準)をふみはずさない態度が呉熙載の端正で洗練された作風の基本であり、やがて教育者としての役割をはたすことになりました。
後世の書道、とくに篆刻を専門にする人は、呉熙載から学び始めるのが最もすなおに早く上達するという常識が確立したのです。

包世臣ほうせいしん鄧石如とうせきじょを野性味ある開拓者、理論家であるとすれば、呉熙載は守りの人であり、先人の業績を端正に洗練し整備し、篆刻において最も大きな教育的影響力をもった人物であるといえるでしょう。

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