千字文は、習字帖として古くから中国・日本で活用され親しまれてきました。
今回は、千字文の現存最古の古典である王羲之7世の孫、智永の「真草千字文」について紹介していきます。
智永について
智永は王羲之の7世の孫。出家して呉興の永欣寺の住職となり、積年書を学び、彼の書を求めるものが多く訪れ、鉄門限といわれました。
王羲之第1の名作といわれる蘭亭序は、智永の所有物だったとされています。しかしその後、唐の太宗皇帝に取り上げられてしまします。
王羲之の子孫
智永は王羲之の7世の孫です。
要するに王羲之の遠い子孫で、王羲之の5番目の子供である王徽之の系統にあり、智永の本名は王法極といいます。
王羲之は東晋時代の名族中の名族でしたが、東晋が宋によって倒され、斉、梁、陳と次々に南朝の政権が代わっていくうち、だんだんとその位置づけが気薄になり、智永のように僧侶の道を選ぶ者も出てきました。
あだ名は鉄門限
永欣寺の住職をしていた時、智永に鉄門限というあだ名がありました。
ここでいう門限とは門が閉じる時間ではなく、左右の門柱の下部に横渡したた「しきみ」と呼ばれる木材のことを言います。
門に入る、出るとはこの板を渡るかどうかを指しています。
当時の仏教は、身分が高く教養のある人が信仰するもので、寺院は庶民がそうそう気安く出入りするところではありませんでした。
ところが、智永は庶民にやさしく、気軽に字を書いてあげました。
人気奮闘で参拝者はひきもきらず、その門限をどんどん踏んでいくので、いくら直してもすぐつぶしてしまいます。
そこで智永はこれに鉄板をはめ直して頑丈にしました。
そこで人々はそれを「鉄門限」と呼んだといいます。
門限の角がすり減って丸くなっているお寺は見かけなくもないですが、鉄で補強するのはよほど珍しかったのでしょう。
千字文について
千字文は4字を1句とする250句で構成し、1字も重複しない1000字からできているのでこの名前がついています。
千字文の成立
千字文は中国梁の武帝(464~549)が殷鉄石に王羲之の書を集め模写させ、その文字を使って周興嗣に文を作らせたものとされています。
梁の武帝は王羲之の書を愛好していたので、王子たちに書を習わせる手本として、殷鉄石に命じて王羲之の筆跡の中から1千字の模本を作らせました。
その字はいろんな文から1字ずつ抜き出してできたものなので、ばらばらで文にもなっていませんでした。
そのままでは学びづらいので、梁の武帝は、文章を書く才能があった周興嗣に命じて文章として読めるようにしました。
周興嗣は1字の重複もない4言で1対2句の整然たる韻文(詩・短歌・俳句のこと)にまとめ上げます。
これが「千字文」です。
千字文の内容
千字文の内容は、すべてが一貫しているわけではありませんが、悠遠なる天地自然の理法から始まり、古来の人生観を織りまぜで人間の生き方にまで及んでいます。
故事成語、魏晋以来の詩文等、儒家の経書、道家の著録、南朝の文人の作品にふさわしい思想背景が謳いこまれており、当時の思想背景を広くみることができます。
もともと千字文は識字用に作られたものではなく、習字手本として作られました。
千字文が普及した理由として、書としての素晴らしさがあったことは言うまでもありませんが、その中に多くの故事成語や興味深い古人の逸話などが盛りこまれ、韻を踏んだ素晴らしい文で綴られていたので、知識の習得も兼ねて勉強することができたからでしょう。
智永の真草千字文
真草千字文は、中国の梁・陳から隋(6世紀ごろ)にかけて生きていた智永が書いたものだと言われています。
各文字を真書(楷書)と草書で隣り合わせに書いていくもので「真草千字文」とよばれています。
智永は梁末から生きていましたが、「千字文」を書写したのは隋代でした。
智永は永欣寺に住んでいる間、真草千字文を800本も書写して江東(長江下流の南側)のたくさんの寺にそれぞれ1本ずつ配りました。
800本を書写したと言われる「千字文」は、書を想像的に加工などという姿勢は全くなく、王羲之の原本に忠実な復元作業であったと言えます。
なぜこれほどたくさんの本数を書写したかといえば、王羲之の子孫である自分が確かな書法を伝えたかったからだと予想されています。
また、北朝の隋が南朝の陳を倒して天下統一をなした王朝であったことも影響しています。
北朝勢力が南朝勢力を圧迫したことで、物事の価値観も北朝有利に働きました。
王羲之は南朝の人だったため、王羲之の評価も急激に薄れてしまいます。
その北朝支配に対しての抵抗だったとも考えられています。
王羲之書法を自分の手で書き残し、後世に伝えたいという願いが智永の行動には感じられます。
智永が写した千字文は唐宋時代にはかなり残っていたようですが、現存する真跡本は日本にある「小川本」のみで、ほかに拓本2種(関中本・宝墨軒本)が伝えられています。