顔真卿と言えば数多くの碑石に残っている謹厳な楷書ですが、それらは顔真卿の公的な場における表向きの書です。
彼の人間性を直接に伝えるものは、草稿として自分の思いを率直に書き連ねた「祭姪文稿」「祭伯文稿」「争坐位文稿」のいわゆる「三稿」があります。
今回は、そのなかでも唯一肉筆で書かれている祭姪文稿について解説していきます。
祭姪文稿を書いた顔真卿の左遷
祭姪文稿を書いた顔真卿は大きな武勲に加えて、家学によって培われた古式や典礼に対する知識と、それを実行しようとする無類の誠実さがありました。
しかし、当時の朝廷では典礼を行うにも、その設備すら整いません。
しかも顔真卿は武将として軍閥がのさばり、横柄なふるまいをほしいままにしているときでした。
宰相たちには顔真卿の存在が煩わしくなっていたため、乾元元年(758)2月、厄介払いするように、顔真卿はまず憑翊太守に貶められ、3月には蒲州刺史に改められました。
憑翊は現在の陝西省大茘にあたり、蒲州は山西省の南端の永済にあたります
つまり、地方へ左遷されてしまったのです。
祭姪文稿について
蒲州刺史の時に顔真卿はちりじりになった顔一族を集め、誰が死に誰が生き、どんな境遇にあるのかを確かめようとしました。
9月3日、顔泉明が安史の乱で殺された兄の季明の首を携えてやってきます。
顔真卿は激しく嘆き泣き、震える手で追悼の文を書きます。
その草稿が「祭姪文稿」です。
現在では台湾・国立故宮博物院の至宝とされています。
祭姪文稿の書風・特徴
祭姪文稿は肉筆で書かれているため、線の抑揚、リズム、呼吸の変化などを学ぶのに最適です。顔真卿の激情をそのままぶつけたかのような自然な筆遣いの中に、筆の機能を最大限に生かした多彩な技術が読み取れます。
重量感のある線
祭姪文稿には芯棒が通ったような図太い線がいたるところに使われています。力強く見えるのは、筆圧をしっかりかけた中鋒の線のおかげです。紙にこすりつけたようなかすれた線からも、筆圧が十分かかっているのがわかります。
縦線
しっかり穂先が開いた縦画があります。穂先が線の中央を通るように起筆は蔵鋒で書き始めます。
おさえこむ線
筆の穂先を開いて下へ抑え込む線があります。最終画を重めに終わらせることで、文字全体にどっしりとした印象を与えます。
回転運動
筆圧をかけながら回転する線があります。縦画が下に向かうにつれて線は太くなり、ゆったりとした形になります。
変化
感情の赴くまま書いた文字でも、蓄積された技術、美的造形に対するするどい感覚が、自然と同じ形を避けるのでしょう。同じ文字や筆画でも、線の強弱や方向の変化で多彩な表情を見せています。
はね
最終画に同じようなはねが連続している部分がありますが、夫々強弱や方向を変えて、単一な調子にならないようにしています。
門がまえ
同じ門がまえでも、筆圧のかけ方や穂先の出し方によって印象がちがいます。
はらい
はらいは穂先を十分に開き、筆の弾力を感じさせます。
軽快な線
祭姪文稿には太く力強い線だけでなく、細くて軽い線もたくさんあります。
線の太さが極端に違っていても、全体としての違和感が全くないのは、細い線が筆の弾力をしっかり生かした、息の長い、しなやかで粘り強い線質で書かれているからです。
連綿
連綿も注意してみてみると、いろいろなリズムで書かれています。
手前に引きずりおろすような運筆のものや、均一な筆圧でゆったりとした線のものなどがあります。
筆の抑揚や、速度に気を付けて書きます。
開いた線と閉じた線
1つの文字の中に穂先が開いた線と閉じた線の両方の線質が混在している文字もあります。