懐素(かいそ)は、唐の時代(7世紀ごろ)に狂草(草書の種類)を書いた書家として有名です。
楷書で有名な顔真卿と知り合いでした。
今回は、懐素とはどんな書家なのかを解説した後に、彼の書風の特徴である狂草について、代表作品も紹介していきます。
懐素について

懐素は僧名で、字を蔵真、僧として出家する前の、俗人としての苗字は銭といいます。
生没はあきらかではなく、開元13年(725)または開元25年(737)生まれと言われますが、開元25年生まれ説の方が有力です。
湖南省の零陵県の人ですが、幼い時に出家しました。
仏教はインドから中国に伝わって以降、唐代になってから急速に発展しました。
懐素は禅の修行に努めながら、書によって心を清め、悟りを求めました。
書が好きでしたが、貧しかったので、芭蕉の葉に手習いしたり、漆を塗った板に書いては拭き消し、書いては消したため、擦れて漆が剥げたとか、臨模に明け暮れたため、たくさんの使い古した筆を塚にうめた、という逸話があります。
またお酒が好きで、酔うと好んで草書を書きました。
かなりの大酒ぶりで、酔っぱらうと、寺の壁、里のしきり、衣装、お皿など、手あたり次第に書いたといいます。
そのため、人々は「酔僧」と呼びました。
すでに郷里で書家として有名でしたが、大暦12年(777)からは都の長安に出ました。
長安では当時刑部尚書(古代の官職)だった顔真卿に会っています。
懐素の書風の特徴「狂草」
懐素の草書作品には2種類の傾向のものがあり、1つは狂草で、もう1つは伝統的な正しい草書です。
主に懐素の草書といえば狂草をイメージしてもらっていいでしょう。
狂草は懐素より少し前の張旭という人が、酒に酔った勢いで自由奔放な草書を書いたのが始まりです。
張旭は、ときに頭髪に墨をつけて書くということまでやってのけたらしいです。
いわゆる宴会の余興のようなものでしょうか、パフォーマンスとしての書です。
懐素は張旭の後を継いで、張顛素狂と並び称されました。
このほか、明・清の時代の王鐸・傅山の連綿草による長条幅作品も狂草の一表現とみなすことができます。
元の沈右(しんゆう)による懐素の評価
元の沈右は、懐素が書の奥義をよく継承していることをとても高く評価しています。
「懐素の書はみごとである。意のまま気の向くままに書かれ、変化の限りを尽くしているが、常に魏晋の法度から離れていない」
懐素が書壇においてかくも崇高な地位を得ることができたのは、
「意のまま、気の向くまま」でありながら「魏晋の法度を離れていない」という、相反する要素をうまく交わらせることができたからです。
狂草に対する米芾(べいふつ)の評価
懐素が出てきてから、草書で有名になる書家が相次いであらわれました。
高閑や䛒光がその代表例であり、彼らによって狂草は後の世代へとつづいていきました。
しかしこの狂草について、後の時代(宋)の人物である米芾が否定的な意見を論じています。
「張旭は俗物(無風流で金銭や世間の名声を第一としている)で古風を変乱したが、懐素になると少し平淡さを加えて、ようやく完成に至ったが時代のせいか高古さがなく、高閑以下はみんな居酒屋に掛けられるくらいのものであり、䛒光はとりわけ憎悪すべきである」
と評価しています。
米芾は晋時代の人(王羲之など)を参考にしなければ気格はいたずらに下品となるばかりであるといって、すべて晋人の風土に重点を置いてみている人物です。
懐素の代表作品
ここからは懐素の代表作品を紹介していきます。
自叙帖(じじょじょう)

大暦12年(777)
台北・故宮博物院の所蔵で28.3×755㎝の紙本巻子装です。
内容は、自分の経歴を簡単に書いたあとに、親交のあった当時の名士たちが懐素のすぐれた書法をほめたたえる詩文を引用したもので、自己宣伝しています。
狂草書としては自叙帖がもっとも有名です。
連続した線が多く、筆の動きは上下左右によく回転し、軽くて速いリズムが感じられます。
草書千字文(そうしょせんじもん)
無紀年
明代のある収蔵家が、1字は金1両の値打だ、といったことで「千金帖」の俗称があります。
台北・故宮博物院の所蔵で、18.8×279㎝の絹本巻子装です。
この作品は落ち着いた用筆法で、「自叙帖」とは正反対の傾向の作品です。
筆跡の末尾に「貞元15年(799)」の款記がりますが、この1行は偽物です。
蔵真・律公帖(ぞうしん・りつこうじょう)
無紀年
蔵真帖は6行で、自らの書歴の一部を書いています。
律公帖は2種類で、1種は3行で律公(不明)について記し、もう1種は9行で脚気帖ともいい、書状です。
蔵真・律公帖ともに刻帖でしか伝わっていません。
しかし、この帖について清の王澍は「痩勁で動きがあり、天真さがよく出ている」と高く評価していいて、諸家とも懐素の草書の真を伝えているとみています。
食魚帖(しょくぎょじょう)
無紀年
青島市博物館に蔵される29×51.5㎝の紙本。
内容は「拙僧は長沙に居たころは魚を食べていたが、長安に来てからは肉食になったので、
在家の人に笑われている。云々」というものです。
この原跡を調査した徐邦達氏は「滑筆中に、ごく細い描補の痕跡があり”鉤填半臨半基本”である」といいます。
そのためか、やや鈍い筆勢です。
しかし、狂気じみているところはなく、真跡に準ずる作例です。
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