『初唐の三大家』とは、中国の唐時代初期に活躍した書道家、欧陽詢・虞世南・褚遂良の3人を合わせた総称です。
それぞれ独自の書風と特徴を持つ代表的な作品は、楷書の発展に大きく貢献しました。
彼らは書道の歴史において非常に重要な存在となっています。
この記事では、初唐の三大家それぞれ3人の生涯や代表作、その書風などについて詳しく紹介します。
初唐の三大家とは?
中国唐時代に活躍した書道家のなかでも、特に優れた手腕をもち、後世に大きな影響を及ぼした3人の大家、欧陽詢・虞世南・褚遂良を「初唐の三大家」と呼んでいます。
3人とも王羲之の筆跡を熱心に学び、各書体をよくしましたが、とりわけ楷書の技法に傑出し、それぞれ特徴のある作品をのこしています。
彼らは唐の太宗皇帝(唐の第2代皇帝)に仕えた官僚で、太宗からの信頼が厚く、貴族や高官の弟子たちに書道を指導する役割を果たしたことでも知られています。
なお、初唐の三大家と唐の中期に活躍した顔真卿をあわせて、「唐の四大家」と呼ぶこともあります。
初唐の三大家の3人を紹介
欧陽詢(おうようじゅん)
欧陽詢(557~641)は、並み外れて博学で聡明な人物であったといわれています。
はじめ隋時代には高官として仕え、唐時代においても政府の重鎮として活躍しました。
唐の太宗のもとでは、厚い信頼を受けて、宮廷内の教育係として貴族や高官の弟子たちの書道の指導に当たりました。
彼の代表作品である九成宮醴泉銘や皇甫誕碑などの端正で謹厳な書風の楷書は、後世「楷法の極則」とまで称えられ、古くから楷書の典型として高い評価を受けています。
子の欧陽詢(?~691)も父に学んで楷書をよくしました。
虞世南(ぐせいなん)
虞世南(558~638)は、体つきが弱々しいながらも芯が強く、決して正論を曲げることがなかったといわれています。
欧陽詢と同じく隋時代から仕官し、唐時代においても高官として活躍しました。
太宗皇帝は特に彼を重用し、自らも師とあおいで書道を学んだとされています。
王羲之の7世の孫にあたる智永に書道を学んだといいます。
楷書は代表作品の孔子廟堂碑にみられるように、勁さを内に秘めた温雅な味わいに富んでいる点が特徴です。
褚遂良(ちょすいりょう)
褚遂良(596~658)は、優れた政治手腕をもって太宗に仕え、太宗が集めた王羲之の書跡が本物かどうかを1つも間違えることなく鑑定したといわれています。
王羲之の書を学び、楷書は虞世南・欧陽詢の書法に立脚しつつ、晩年には筆圧の変化に富む躍動感に満ちた独特な書風を打ち立てました。
雁塔聖教序はその代表例です。
初唐の三大家の代表作品を紹介
欧陽詢の代表作品「九成宮醴泉銘」
九成宮醴泉銘は、唐の太宗が、夏の暑さを避けるための離宮(九成宮)から、湧き水が出たことを喜んで、当時の学者魏徴に文を作らせ、欧陽詢に書かせた石碑のことです。
九成宮醴泉銘は欧陽詢の代表作品で、後世「楷法の極則」と評価されています。
欧陽詢の楷書は、「欧法」と呼ばれ、厳密で切れ味鋭い筆法の、端正な字形により、厳正な楷書の美しさを表現しています。
虞世南の代表作品「孔子廟堂碑」
孔子廟堂碑は、初唐の三大家の1人である虞世南の晩年の書です。
唐の太宗が、即位後、長安の孔子廟を再建した際の記念碑で、文も虞世南が作りました。
虞世南の楷書は、「虞法」と呼ばれ、よく整った字形で、明るく穏やかな用筆・運筆であり、横画や右払いがのびのびと書かれています。
欧陽詢の書とは違った独特の気品と温雅なおもむきが感じられます。
虞世南と欧陽詢は、隋・唐の2王朝に仕え、ともに唐の太宗に重んじられたことでも知られています。
褚遂良の代表作品「雁塔聖教序」
雁塔聖教序は、初唐の三大家の1人、褚遂良の書です。
玄奘法師がインドから持ち帰った仏典を漢訳した大事業をたたえて、太宗皇帝が序文を作り、皇太子(後の高宋)による記の文とともに2つの碑に刻しました。
長安(現在の西安市)の慈恩寺の大雁塔に安置されたのでこの名前がつけられました。
褚遂良の楷書は、褚法と呼ばれ、筆の弾力を生かした自在で軽快な筆遣いに特色があります。
まとめ:初唐の三大家は楷書の名家の総称
ここまで「初唐の三大家」の3人についてと、その代表作品を紹介しました。
中国の唐時代は彼らの活躍もあり、楷書が流行した時代であり、文化活動が盛んに行われた豊かな時代でした。
書道の世界では、楷書の臨書をするならまずこの「初唐の三大家」からはじめるのが基本となっています。
とくに、欧陽詢の代表作『九成宮醴泉銘』は、学校で習う楷書の字形の参考にも使われており、もっとも最初にとりくむべき古典でしょう。
『九成宮醴泉銘』については、「九成宮醴泉銘について詳しく解説/臨書の書き方のコツ/気をつけたい3つの特徴を紹介」で解説しています。