九成宮醴泉銘は書道をする人なら必ずとおる道!
およそ1500年前に書かれたものなのですが、現代でも「楷書の極則」といわれ、楷書の最も王道な古典です。学校で習う楷書の字形もこの九成宮醴泉銘を参考に作られているほどです。
でも九成宮醴泉銘、むずかしいですよね。イメージ通りに書けなくて苦労されている方は多いのではないでしょうか?
今回は、九成宮醴泉銘の内容や作者などについて解説し、九成宮醴泉銘を臨書するときに気をつけたいポイントを3つ紹介していきます。
気を付けたいポイントを知っているのと知らないのとでは上達のスピードにかなり差をつけることができると思うので、ぜひ参考にしてください。
九成宮醴泉銘とは?

まず、九成宮醴泉銘についての知識を紹介します。
九成宮醴泉銘とは簡単に言うと、昔のあるえらい人(欧陽詢)が書いた文字がそっくりそのまま石にほられて、その文字が素晴らしいということで現代まで伝えられてきた石碑のことです。
九成宮醴泉銘 を練習するにあたって絶対に覚えておいてほしいのは、そのえらい人の名前です。 「九成宮醴泉銘 って誰が書いたか知ってる?」と聞かれたら、ちゃんと欧陽詢の名前が言えるようにしておいてくださいね。
九成宮醴泉銘の内容

九成宮醴泉銘に書かれている文章の内容を紹介します。
九成宮はもともと中国隋時代の文帝が建設した仁寿宮という名前でしたが、唐の第2代皇帝・太宗がこの建物を修復し、九成宮と改めました。唐王室の離宮として避暑などに使用しました。
この九成宮の敷地内には水源がなかったのですが、貞観6年(632)、太宗が宮内を散歩していたところ、偶然にも湧水を発見しました。このめでたいことを記念して、天子の治世や唐王朝の徳を称えた内容の文が作られました。
文字数は1109字、1行49字で24行彫られています。
九成宮醴泉銘のくわしい内容は、こちらの全文現代語訳で見れます。
九成宮醴泉銘の制作を命じたのは太宗皇帝

九成宮醴泉銘の制作を命じたのは、中国唐の第2代皇帝・太宗(598~649)です。
唐の前王朝・随の混乱期、父李淵(高祖)に挙兵をすすめ、唐を建国、父を初代皇帝にしました。
626年に即位し、内政・外交に力を尽くし、後世「貞観の治」とよばれる治世を成し遂げて中国史上第一の名君といわれます。
書人としても歴代皇帝のなかで第一にあげられ、王羲之を崇拝しました。
文教政策の一環として、高官の子弟を集めて弘文館を設立、欧陽詢・虞世南らを弘文館学士(指導教官)に任命しました。
太宗についてはこちらで詳しく紹介しています。↓
九成宮醴泉銘の文章をつくったのは魏徴
九成宮醴泉銘の文字を書いたのは欧陽詢ですが、その文章を作ったのは魏徴(580~643)という人です。
太宗皇帝の側近で、相手に遠慮なく反論する性格で有名です。
書もよくしたとされ、太宗が収集した王羲之の書の鑑定を虞世南とともに命じられ、また虞世南が亡くなった場合ににあたる人物に褚遂良を推薦するなどもしています。
九成宮醴泉銘の拓本について:古いものほど本来の字に近い
九成宮醴泉銘は欧陽詢の最高手本として昔から人気が高く、多くの拓本がとられてきました。
拓本を取るたびに表面を研磨するので点画は細くなっていきます。さらにその細くなってしまった点画を太くしようと彫り直しされてきたので、現在本来の字形は失われてしまっています。
古い拓本と、新しい時代に取られた拓本とでは、線の太さも字形も変わってしまっているんです。
そのため、古い拓本が珍重されています。
現在、中国の北京故宮博物院にある李祺旧蔵本(明の李祺が旧蔵していた拓)が最も古く最善のものとされています。
その次に古いものとして現在は日本の三井記念美術館に所蔵されている海内第一本があります。日本にある海内第一本の方が李祺旧蔵本より線が明瞭で見やすいため、日本だけでなく中国でも多くの人がこれを見て練習しています。
また、古来から人気の高かった九成宮醴泉銘は、たくさんの摸刻本(翻刻本)があります。摸刻本とは、誰かが九成宮醴泉銘を臨書して、その字を石に彫り、拓本にしたものです。これらは現代のように印刷技術が発達した時代においては無価値に等しいものです。新しく、見やすいのですが本物の字とは違うため注意しましょう。
九成宮醴泉銘を臨書するときに気をつけたい3つのポイント
ここからは九成宮醴泉銘を臨書するときに気をつけたいポイント を3つ紹介していきます。
九成宮醴泉銘のイメージといえば、「引き締まっている」「キリっとしている」といったものがあると思います。ポイントをしっかりおさえてもらえれば、こういったイメージを表現できるようになれるでしょう。
九成宮醴泉銘の書き方:ポイント①
気をつけたいポイント1つ目は、向かい合っている縦線が内側にそるように書くということです。これを背勢といいます。


上の画像を見てもらうと、縦線が2本ならんでいるときは内側にそっているのがわかります。
このポイントは特に難しい筆使いはいらないため、意識さえできていれば難なくクリアできるでしょう。
九成宮醴泉銘の書き方:ポイント②
気をつけたいポイント2つ目は、書き始めの角度が急になっており、鋭く書き始めるということです。これは筆使いの技術が必要になってくるポイントです。


左の画像は横画について、右の画像は縦画について、それぞれ書き始めの部分の角度の急さを紹介しています。
これ実際に書いてみるとけっこう難しいです。
ふだん行書やひらがなを書いている方だと角度がゆるい入筆に慣れてしまっているため、特に苦労されるポイントです。
九成宮醴泉銘の書き方:ポイント③
気をつけたいポイント3つ目は、三角形や四角形などで図形の形を意識することです。これは文字の形を見る際に参考になるポイントです。


九成宮醴泉銘 の字の形はだいたい三角形と四角形で表現することができます。
また、「偏(へん)と旁(つくり)」などに分かれている文字でも三角形と四角形で表現できます。


文字の中にはたくさんの三角形、四角形が隠れているので、がんばって見つけましょう。
上達にはたくさん書くのが一番大事
ここまで気をつけて書きたいポイントを紹介してきましたが、上達するためには結局たくさん書くことが重要になってきます。
上手な人とそうでない人の差はセンスがいいかよくないかではなく、消費した紙の枚数で差がつきます。
とはいえ、人と比べていると豊かな心は持てないので、自分のペースで進めましょう。
最後に:石に彫られた字を表現するのはむずかしい
最後に、だれもが疑問に思う点について触れておきます。
「こんな鋭い筆遣い実際にあるのかな?表現するのとても難しそう」
これらの碑の文字は、書かれた文字の起筆や終筆、はね、はらい、点折の形状、字画の微妙な太さ、そのすべてがそっくりそのまま刻されているわけではありません。
そこには彫り方の思想が入り込み、書かれた文字の表現との間に微妙な差が必ず生じています。
起筆や終筆の角度の違い、画の尖端を鋭く残すかどうか、起筆や終筆に目をとめて送筆を弱勢にするか、逆に送筆を主と考えるかなどによって、彫り方に微妙な違いが生じます。そして、それが書風として鑑賞されます。
九成宮醴泉銘が鋭いのは、筆で書いた文字のかきぶりを再現しようと試みながら、たんに形をなぞるのではなく、刻法で再現しようと試みているからです。
肉筆そのままの姿ではないにもかかわらず、北魏の字(造像記など)よりは肉筆的であり、刻字そのままの姿ではないにもかかわらず刻字的です。
つまり、肉筆に見られず、刻字にも存在したことのない、現実にはあり得ない姿をしているのです。
今回は、九成宮醴泉銘 を書くときに気をつけたいのポイント3つを紹介してきました。
ここまで紹介してきた3つのポイントに気をつけて書くことができれば、 「引き締まっている」「キリっとしている」そういったイメージどおりの表現ができるでしょう。