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王羲之:蘭亭序の内容を全文現代語訳で紹介

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書道をされている方なら必ず知っているであろう王羲之の蘭亭序。

漢文で訳も分からず書いているけど、一応意味も知っておきたいと思いませんか?

今回は王羲之の蘭亭序の現代語訳を全文を紹介します。
現代風に意訳した部分や、新字体を用い、現代かな使いを用いています。

蘭亭序についての詳しい解説・書き方などは下の記事でまとめています。↓

蘭亭序の内容

東晋とうしん永和えいわ9年(353)3月、王羲之おうぎし会稽山かいけいざん浙江せっこう紹興しょうこう市)のふもとにある蘭亭に名士41人を招きました。

みぞぎ(身を清め、けがれを取り除くこと)の儀式を行った後に、「曲水きょくすいえん」という詩会を開催し、それぞれが作った詩を集めて詩集を作りました。

このとき書いた詩集の序文の草稿が「蘭亭序」です。

内容としては、前半に詩会が行われた会場の情景や天気、集まった人たちがどんな様子であったかを描写しています。後半は王羲之自身が考えること(生きること死ぬこと)を語っています。

蘭亭序のあらすじ

永和9年3月3日に蘭亭において禊事けいじを行ったところ、諸賢が余すところなく集まってくれました。自然の環境に恵まれ、しかも天気が良くて気分も爽快になり、曲水に酒杯しゅはいを浮かべ、詩情を心ゆくまで尽くしあいました。

人はそれぞれありかたが違うとしても、喜びに行きついてしまうと、やがては秋が来て感慨も薄れてしまいます。これは人の命においても、長短にかかわらず必ず最期あることから、「人の偉大さは生死によって左右されるものではない」という古人(孔子)の言葉には決して同意できません。

古人の文を読むたびに、感激する原因が同じところにあることに気づきますが、過去の人は今の人ではなく、後世の人からすれば自分たちも過去の人になります。生死を同一視するのは嘘で、人が永遠ではないことが悲しいです。

そこで、今日の詩会に集まった人たちの名と、作られた詩を後世に残すことにしました。後世の人の心を動かすことができたらいいです。

王羲之:蘭亭序 全文現代語訳

永和9年(353)癸丑きちゅうの歳、暮春3月の初め、会稽・山陰にある「蘭亭」で禊事けいじをひらきました。心身を清めるのみそぎが目的のもよおしです。おおぜいの知識人、それも年配者から若い人までみんな来てくれました。
さて、この地には高い山、けわしいみね(山の高くそびえるいただき)に囲まれているところで、生い茂った林、そしてみごとにのびた竹があります。また、清らかな流れと、流れのはやいの川があって、それは左右に映えています。その水を引いて、さかずきを流すための「曲水」をつくり、一同まわりにならんですわりました。楽団が控えていて音楽を奏でるというような華かさこそありませんが、酒を飲み詩をむというこの催しには、心の奥を述べあうに足りるだけのすばらしさがあるのです。
この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がおだやかに吹きわたっていました。
我々は、宇宙の大きさを仰ぎみるとともに、地上すべてのものの生命のすばらしさを思いやりました。
かくして目の保養をはかり、また心を開いてのべ合い、目や耳を十分に娯しませることができ、まことに楽しいことであった。

そもそも人間が、同じこの世で生きるうえにおいて、ある人は心中の見識こそいちばん大切だとして、部屋の中で語り合うこともあるでしょうし、ある人は何かに託して、形骸を忘れて自由に生きようとします。
その生き方はいろいろであり、静と動と同じではないけれど、それぞれに自分の境遇を喜び、しばらく思うように言っている時には、心地よく満足して、老いがわが身に迫ろうとしていることも忘れてしまいます。
しかし、している事にやがて飽きがきて、気持ちもそれにつれてうつっていくと、やがて感慨がいてきます。以前、あれほど喜んでいたことでも、しばらくたつともはや過去のこととなってしまい、とりわけこのことで物思いを起こさずにはいられません。
まして命の長い者も短い者も自然の変化のままに、やがては命尽きてしまうからにはなおさです。古人(孔子)は「死と生は人生の大事である」といいましたが、これほど痛ましいことはありません。

昔の人がいつも何に感激していたか、そのさまをみてみると、私もまったく同じことを思いました。そうして古人の文章を読んでは、これまでなげいたまないことはありませんでしたが、それを心にさとるところまではいけませんでした。しかし今や、死と生は同じと見るのはでたらめです。長命も短命も同じだなどというのは無知そのものであることが、よくわかりました。

後世の人々が今の私たちを見るのも、ちょうど今の私たちが昔の人々を見るのと同じでしょう。悲しいことですが、そこで、今日あつまった人々の姓名を書き連ね、その作った詩を記録しておきます。世の中は変わっても、心に深く感ずるということの根拠は、結局のところかわりはありません。したがって、後世これを手にとって見てくれる人は、きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。

蘭亭序についての詳しい解説・書き方はこちらから↓

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