中国の書家– category –
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張芝(ちょうし)という書家について解説/草書の名手/作品も紹介
張芝(ちょうし)は中国の後漢時代(2世紀ごろ)の書家です。 後漢が発生した時期です。文字が発達するとともに、文字が上手だということで有名になる人物が現れてきました。 中でも今回紹介する張芝」と呼ばれました。 さらにもう1つ、張芝などの文字を... -
【王羲之の息子】王献之(おうけんし)について解説/作品の特徴や評価を紹介
王献之(おうけんし)は、蘭亭序の息子で、彼も書道に優れていた人として有名です。 父の王羲之には7人の息子がいましたが、そのなかでも末っ子の王献之がもっとも優れていたようです。 そんな王献之とはどんな人だったのか、解説していきます。また王羲... -
鍾繇(しょうよう)について解説/鍾繇は王羲之が学んだ書家
書体が時代が進むにつれてうつり変わっていったなかで、もっとも大きな変化が起きたのは漢から楷書・行書・草書への移行でした。 このような時代にもっとも書をよくし、またもっとも指導的地位にあったとされているのが今回紹介する鍾繇です。 蘭亭序の筆... -
徐渭(じょい)とはどんな書画家だったのか詳しく解説
徐渭 花卉図巻 徐渭時代後期の文人で、詩書画どれもよくしましたが、とくに画人として有名です。 自由奔放で大胆な画風が人気で、後の清の時代の画家にも大きな影響を与えた人物です。 そんな偉大そうに見える徐渭ですが、彼の人生はとても壮絶なものでし... -
書道で活躍した皇帝・太宗(たいそう)について詳しく解説/書道の分野で功績を残した皇帝/代表作品の晋祠銘・温泉銘も紹介
中国唐われる人物ですが、書道史上においてもまた多大な影響を及ぼした皇帝です。 九成宮醴泉銘されたりしたことはとても有名です。 今回はそんな太宗について、どんな人物だったのか、彼の代表作品も紹介していきます。 太宗について紹介 唐・太宗 唐とい... -
王羲之が務めた会稽内史ってどんな仕事?王羲之の功績を紹介
351年(永和7年)に王羲之になりました。 会稽とは、会稽という土地を治める政治を行う人のことです。王羲之は書家であり、政治家でもありました。 もともと本人の希望は宣城に比べるとずいぶん田舎です。王羲之は、戦争や内部の権力争いに身も心も疲れは... -
呉昌碩の代作をまかされた趙子雲(ちょうしうん)とはどんな書画家だったのか
書画家として成功した呉昌碩のもとには、たくさんの弟子がつき従ってきました。 弟子たちの目標は、自分も呉昌碩のように書画家として作品を売り、経済的に成功することです。 よって必然と弟子たちの書画作品は呉昌碩とそっくりになります。 そのなかでも... -
呉昌碩のよき友人、王一亭(おういってい)とは?
明末から中華民国にかけて活躍した書画家・王一亭と関連づけて語られることが多いです。 それは、王一亭は呉昌碩晩年のよき友人、弟子であり、時には代作をつとめるほどの人物だったからです。 では、どうして王一亭が晩年の呉昌碩とこういった親密な関係... -
呉昌碩について解説【石鼓文の臨書作品についても解説】
詩・書・画・篆刻の四芸に優れており、日本でも早くから多くの愛好者がいる呉昌碩。 清朝末期から中華民国初期に活躍した人で、中国最後の文人と言われています。 また呉昌碩は、書画は趣味であって、売ることを前提にしない今までの文人の枠を超え、書画... -
呉昌碩と日下部鳴鶴の関係【呉昌碩の書画作品が日本で有名になったきっかけ】
日本において、呉昌碩(1838~1922)が世間に広く伝えたことがきっかけと考えられています。 今回は、呉昌碩と日下部鳴鶴の接点を解説していきます。 日下部鳴鶴の呉昌碩訪問 日下部鳴鶴に信任されましたが、大久保利通が暗殺され、その後は政界から離れ書...