楷書– category –
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血書経(けっしょきょう)について/自身の血で写経が行われた
血書経(けっしょきょう)とは 血書経とは、写経を行う際に、自分の血で文字を書く写経方法のことをいいます。 血書経は修行の1種として行われた どうして写経の文字に、血が使われたのでしょうか。 それは、一種の身体を犠牲にして仏道を求める修行とし... -
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一切経(いっさいきょう)について詳しく解説【日本ではじめて写経に使われた経典・金泥一切経と銀泥一切経・一日一切経・一筆一切経】
今回紹介する「一切経」は、日本に写経が伝わり、はじめて写経につかわれた経典です。 日本では、この一切経の写経がもりあがり、金色の文字で書いたり、とてもたくさんの人々の協力のもと1日で写経を完成させるというイベントが開かれたりしました。 今... -
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礼拝写経を紹介【お経の文字を1文字書くごどに礼拝を行う写経方法/一字一礼・一字三礼・一行三礼・一巻三礼】
写経は、亡くなった方を供養し、成仏を願って行われました。 この想いを写経に表現するだけでなく、表現としては残りませんが1字1字に祈りを込めて筆を運びました。 このお経を写すにあたって、以下の3種類の祈りが行われました。 1字書くごとに1礼、... -
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日本に写経(しゃきょう)が伝わる/日本独自の華やかな写経
写経のことをいいます。 中国大陸から日本に伝わり、日本でも写経が行われるようになりました。 日本に写経が伝わると、日本独自のとても華やかな装飾を施した作品としての写経が作られるようになります。今回は、日本に写経が伝わってから日本独自の華や... -
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【書道の基本】三折法(三過折)とは?楷書体が生まれたことによって完成した書道の表現
歴史的に書体がうまれた順番ですが、多くのひとは、楷書をくずしたものが行書、行書をくずしたものが草書と考えるのではないでしょうか。 しかし、厳密にいうと実際の発生した順序は、草書→行書→楷書となります。 「楷書が完成する前に、くずし字であるは... -
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美人董氏墓誌(びじんとうしぼし)について解説/臨書に使える全文の拓本画像・釈門も記載
美人董氏墓誌(びじんとうしぼし)について解説 美人董氏墓誌の全体 美人董氏墓誌です。 墓誌(ぼし)とは 墓誌とは、お墓におさめられている亡くなった方の情報が彫られた石碑のことです。 中国清時代の嘉慶・道光年間(1796~1851)に陝西省興平県で出土... -
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張猛龍碑(ちょうもうりゅうひ)について、書風・特徴を解説/臨書に使える全文の画像、釈門
張猛龍碑(ちょうもうりゅうひ)の基本情報 張猛龍碑の原碑 張猛龍碑の拓本 北魏・正光2年(522) 山東省曲阜の孔子廟内“漢魏碑刻陳列室”(通称“孔廟碑林”)にあります。 石碑は198.2×87.3㎝。碑文は26行、行ごとに46字。額は3行12字で、額の背面や碑陰... -
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皇甫誕碑(こうほたんひ)について解説/特徴・書き方/臨書に仕える全文画像も掲載/欧陽詢の楷書作品
皇甫誕碑について解説 皇甫誕碑の原碑 皇甫誕碑#1 タップ/クリックで拡大 皇甫誕碑える内容の碑です。 碑文は于志寧が揮毫しました。 碑が建てられた年月の記載がないため、欧陽詢が何歳のときの作品なのかは分かりませんが、晩年のころとされています... -
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温彦博碑(おんげんはくひ)について解説/欧陽詢の楷書作品
温彦博碑について 温彦博碑の原石 唐を許された功臣の石碑が多く建てられています。 温彦博碑を許された功臣の石碑の1つです。 「虞恭公碑」とも呼ばれています。 碑の銘文は当時の大官、岑文本(595~645)が撰文し、欧陽詢が揮毫しました。 欧陽詢が81... -
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化度寺碑について解説/欧陽詢の楷書作品
化度寺碑について解説 化度寺碑 敦煌本 化度寺碑の銘文が書かれていいます。 正しくは「化度寺碑故邕禅師舎利塔銘」といいます。 銘文は李百薬が書きました。 欧陽詢が75歳の時の作品です。 銘文に書かれている邕禅師とは 化度寺碑について紹介しておきま...