楷書日本の法帖

日本に写経(しゃきょう)が伝わる/日本独自の華やかな写経

楷書

写経しゃきょうとは、経文きょうもんを書写すること、または書写された経典きょうてんのことをいいます。

中国大陸から日本に伝わり、日本でも写経が行われるようになりました。

日本に写経が伝わると、日本独自のとても華やかな装飾を施した作品としての写経が作られるようになります。
今回は、日本に写経が伝わってから日本独自の華やかな写経がつくられるまでの流れを紹介します。

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中国大陸から日本への写経の伝来

中国大陸から日本に写経しゃきょうが伝わったのは、仏教ぶっきょうが中国から伝わるのと同時であったと考えられています。

日本書記にほんしょき』の記事によれば、飛鳥あすか時代の552年(欽明天皇きんめいてんのう13年)、朝鮮・百済くだら聖明王せいめいおうが、怒唎斯致契ぬりしちけいらを使者として、釈迦しゃか金銅仏こんどうぶつ一軀いっく経論きょうろん幡蓋ばんがいけんじたといいます。
つまり、飛鳥時代の552年に経典きょうてん経文きょうもんがもたらされました
この記事が、日本に仏教が伝わった最初の記録です。

やがて、日本でも写経しゃきょうが行われるようになります。日本で写経が行われたことが記録上ではじめて確認できるのは、同じく『日本書記』からです。

『日本書記』の記事によれば、飛鳥あすか時代の天武天皇てんむてんのう2年(673年)の3月、書生しょせいをあつめて飛鳥あすか(現・奈良県高市郡明日香村川原)の川原寺かわらでらで「一切経いっさいきょう」を書写した、と伝えられています。

奈良時代は組織的に写経が行われるようになる

奈良時代の写経は、すべて国家の管理のもとに、国営の事業として行われました。

写経が専門の写経所しゃきょうじょという役所がありました。

写経所の写経量産体制

写経所内には役割分担がありました。役割を分担することで、写経制作の効率を改善しました。

  • 案主あんじゅ…全体総括や事務作業をする人
  • 経師きょうじ…経典を書写する人
  • 題師…題簽だいせんを書く人
  • 校生きょうしょう…文字の誤りを点検する人
  • 装潢そうこう…写経の紙を染めたり、継ぎ合わせたりする人

写経所で働く人の給与事情

写経所で働く人の給与は出来高に応じて支払われるシステムでした。

「正倉院文書」の内容をまとめると、
経師…1枚で5文(ふつうの経典)、1枚7文(細字のある経典)、1枚10文(金字経)
題師…1巻で3文、1巻6文(金字経)
校生…5枚で1文
装潢そうこう…2枚で1文
となっています。

経典を書写する経師きょうじが、ふつうの写経の場合は紙1枚に対して5もんが支給されました。しかし、細字が含まれる場合は、書写がむずかしいため2文が加えられて7文となります。さらに、紫紙しし紺紙こんし金泥きんでいで書写する場合には、ふつうの書写作業よりも手間がかかるので、ふつうの写経の2倍の10文が払われることになっていました。

したがって、1日7枚書いていた経師は、1日35文の給与をもらっていた計算となります。

天平宝字6年(762)の年紀のある「正倉院文書」によれば、白米1しょうの値段が7文でした。とすると、経師は1日5升の白米を買えることになります。

これを今日の貨幣価値に換算してみると、お米1しょう(1.5㎏)は600円ほどです。
彼らは1日で5升分もらっていたわけですから、
600円×5升=3000円
1日3000円ということになります。

また、本来、経典は正しく書写されなければいけません。1文字の誤字も許されないのです。

その間違いを防ぐために経師には厳しい罰則が設けられていました。

例えば、1文字の脱字に対して1文、5文字の写し間違いに対しても1、1行飛ばしてしまうと20文の減額がされました。

もし1行分飛ばしてしまうと、35文の日給のうちから、20文も引かれてしまうことになります。

このようなかなり過酷な体制が敷かれて写経事業が推し進められていました。今日、現存する奈良時代の写経は、厳格な書体で、ほとんど1文字の誤字もないのも、こうした事情からと考えられます。

なぜこのような仕組みができたのか?

なぜこのような仕組みができたのでしょうか。

奈良時代の写経は仏教のテキストとしても重要な役割を担っていたからと考えられます。

この厳しい体制があったからこそ、質と量を兼ね備えた写経が作られました。

平安時代は華やかな装飾経が盛んになる

平安時代の装飾経「平家納経」
平安時代の装飾経「平家納経」

もともと写経というのは、白い紙に黒い墨で書くのが原則です。

しかし、写経の中には、紙を美しく染めたり、金色や銀色で文字を書いたり、特別な装飾をほどこした手の込んだものがあります。これを今日では装飾経そうしょくきょうと呼んでいます。

装飾経は、平安時代のものが多いため、一般的に平安時代のものを指す場合がおおいです。

装飾経の発生時期は奈良時代

奈良時代の装飾経「金光明最勝王経」
奈良時代の装飾経「金光明最勝王経」

装飾経は平安時代のものが多いですが、装飾経はすでに奈良時代に行われていたと考えられています。

その証拠に「正倉院宝物」として未使用の色紙がたばのままで残っています。
その色は、赤・白・黄・茶、青・緑・白・黄・茶という順に繧繝うんげん効果をねらっておよそ100枚が1束に重ねられています。

実際にこれらを写経料紙として使用したことは、たとえば「正倉院文書」の天平勝宝5年(753)2月の経紙出納帳で確認できます。

廿四日納色紙弐伯伍拾参張
 深緑十一張 深縹廿張 浅縹廿張 浅緑廿張 
 蘇芳廿張 深紅廿張 浅紅廿二張 白廿張
 浅波自卌張 深苅安廿張 浅苅安廿張 胡桃廿張
 右奉写種々依善光尼師宣観世音経廿一巻判者
           受呉原生人

正倉院文書

と書かれています。さまざまな色紙を使って写経が行われていたようです。

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参考文献:小松茂美著作集18

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