歴史的に書体がうまれた順番ですが、多くのひとは、楷書をくずしたものが行書、行書をくずしたものが草書と考えるのではないでしょうか。
しかし、厳密にいうと実際の発生した順序は、草書→行書→楷書となります。
「楷書が完成する前に、くずし字であるはずの行書が先に書かれていたとはどういうこと?」と思いますよね。
現在は、本来の草→行→楷の順番が入れ替わって、楷→行→草となり、楷書をくずしたものが行書、行書をくずしたものが草書、という文字の構造になっています。
どうして順番が入れ替わって、「楷書をくずしたものが行書」という構造になったのでしょうか。
それは、時代が進むとともに書体が変化していく過程でうまれた三折法(トンー・スー・トン)という筆づかいが関係しています。
今回は、そんな不思議な書体の関係性についてふれながら、書道の基本的筆づかい「三折法」について紹介します。
行書・草書はもともと隷書をはやく書くために生まれた
一般に、行書・草書は楷書をはやく書くために作り出された書体と思われがちですが、厳密には違います。
行書・草書はもともと隷書をはやく書くために簡略化した書体として生まれました。
漢字は、基本的に篆書・隷書・楷書・行書・草書の5つに分けられるのですが、その中の篆書・隷書・楷書が正式な場で使われる正式書体とされ、行書・草書は手紙や下書きなどに使う補助的な書体として扱われてきました。
紀元前3世紀ごろに篆書が発生し、それから約200年をへて紀元前1世紀に篆書を早く書くために隷書が発生しました。そして楷書は、それから約400年遅れた4~5世紀に発生しました。
行書・草書は、隷書をはやく書くため、隷書をはやく書くための行書・草書を硬直化させた楷書が発生してからは楷書をはやく書くために使われました。つまり、隷書を簡略化したもの、楷書を簡略化したものの2種類があるということです。
書道の表現“三折法”が生まれる/三折法とは?
書道の表現には、「起筆、送筆、終筆、転折(横画から縦画への折れ)、はね、はらい」があります。
「起筆、送筆、終筆」はいわゆる「トン・スー・トン」であり、これを三折法(三過折)といいます。
また今回だけ、起筆も終筆もなく、「スー」と縦線や横線を引くだけの書き方を「一折法」、「スー」と入って終筆で「グー」と止めたり、起筆で「トン」と入って「スー」と引く点画の書き方を「二折法」と呼ぶことにします。
“一折法”“二折法”の文字
私たちが普段使うボールペンやえんぴつなどの硬筆は、「三折法」ではなく、「スー」と引くだけだったり、「スー」と入れて「グー」と止めるか、「トン」と入れて「スー」と引く「二折法」で表現されます。
また、楷書が完成するまえの、隷書を早く書くためにうまれた竹簡や木簡、王羲之の「姨母帖」なども、転折部分で筆を置きなおすことなく、転折のない「二折法」で書かれています。
三折法は自然な表現ではなく、技術を必要とする表現
習字教室では、「三折法」を教えられます。この「三折法」にしたがって書くというのがなかなか難しいものです。
初心者の方が苦労するポイントは、三折法の根幹である「起筆、終筆」です。それに加えて「転折、はね、はらい」です。これらの部分は初心者に限らず、長年書道を続けている方でも気をつかうポイントです。
これらをうまく書けたときの快感と魅力のとりこになった人が習字を好きになり、逆にうまく克服できなかった人が習字嫌いになることが多いように思います。
つまり、一般的に三折法の書き方は、もともと毛筆に備わった性質か、または文字を書く規範と考えていますが、これは自然にできるものではなく、文字を書くという歴史が進むにつれてできあがってきた技術を必要とする表現です。
三折法が生まれたきっかけ
三折法は自然な書き方とはいえず、表現的なもの、と紹介しました。
では、どうして不自然な三折法が生まれたのでしょうか。
いま、仮にお墓の石に文字を刻るとします。そのとき、行書や草書の文字を刻るのはむずかしいと考えるでしょう。
それは「一般的に石に刻る書体は楷書体や隷書体」という文化的な理由だけではなく、行・草書体はもともと墨を使って紙に書くのに適した書体だからです。
草書体は、当時もともと正式書体として使われていた隷書体を早く書くために生まれました。後世にまで残る石の文字を、早書きのための書体は使いませんよね。
草書体がそのまま石に残されるほど正式書体の位置を獲得するためには、草書体の姿を変える必要がありました。つまり、草書→行書→楷書への硬直化です。
三折法は、楷書体成立の過程で生まれました。
一般に唐時代が楷書が完成した時代と言われています。それ以前の楷書は、よくみてみると現在の楷書では考えられないほど行書風に書かれていることが目撃されます。
石碑に刻るための楷書が、毛筆でも表現されるようになる
隷書をはやく書くために発生した草書が、草書→行書→楷書へと硬直化をはたし、楷書が完成しました。
中国の唐時代といえば、楷書が完成した時代として有名です。
632年の欧陽詢の「九成宮醴泉銘」が代表的です。
九成宮醴泉銘は、欧陽詢のそのままの文字といういうよりも、石を刻るために生み出された鋭利な三角形の「起筆・終筆、転折、はね、はらい」が表現されています。
一方で、同じく唐時代、「九成宮醴泉銘」より少し後につくられた、653年の褚遂良の「雁塔聖教序」をみてください。
雁塔聖教序は、鋭利な三角形の刻り方をしておらず、紙に書かれたそのままの字を再現しようとしています。毛筆で書かれたような穏やかな三折法が表現されています。
石を刻るときに避けられない鋭利な三角形の書風が、毛筆の手書きに吸収されて、毛筆によって表現できるくらい穏やかな表現にまで変化しました。紙に書く三折法が、石に刻られた書風にとらわれることがなくなりました。
楷書のくずしが行書・草書となる
草書が誕生したきっかけは、楷書の速書きではなく、隷書の速書きとして生まれました。
しかし、唐時代に楷書体、つまり「三折法」が完成したあとは、楷書体成立の過程で獲得した「三折法」が、逆に草書体の中に組み込まれ、従来とはちがった草書体を作り上げました。
もともと二折法を基盤にして描き出されていた草書は、三折法が加えられたことによって楷書とおなじ構造のものなったのです。
「草書体は楷書体のくずしである」という関係構造が成立し、楷書・行書・草書を1セットとする考え方が完成しました。
東晋時代の王羲之の草書や行書には楷書(三折法)の姿はみられませんが、唐時代以降、特に宋時代の蘇軾や黄庭堅、米芾の行書や草書は、その奥に楷書(三折法)の姿を埋め込んでいます。
※唐時代以前の行・草書でも、楷書完成へ向けて「三折法」がみられる筆跡はあります。
宋時代の草書は最先端の三折法
宋時代は行書・草書が盛んだった時代です。
しかし同じ草書体でありながら、宋時代の黄庭堅の「李太白憶旧遊詩巻」を例にみてみると、それより以前の王羲之の草書「喪乱帖」、唐の第2代皇帝・太宗の「晋祠銘」、懐素の狂草「自叙帖」とまったく違った雰囲気があります。
その秘密は、起筆・送筆・終筆(トン・スー・トン)をさらに細かく分けて、「起起・起送・起終・送起・送送・送終・終起・終送・終終」の9個の部分にわけて書かれている点にあります。
黄庭堅の草書を分析してみよう
「李太白憶旧遊詩巻」の中の「樓」という字に注目してみてください。
この2画目の長い縦画が揺れるように書かれているところに「李太白憶旧遊詩巻」が、これまでの草書「喪乱帖」や「自叙帖」とは違った雰囲気が表現される秘密があります。
「樓」という字の2画目を臨書する際、初心者の方はおそらく平面的なゆれの形ととらえ、まねようとしますが、この揺れを点画の平面的な揺れととらえている限りは、この縦画の表現方法を読み解き、再現することはできません。
この「樓」という字の2画目には、先ほど紹介した9個の部分にわけて考えると、以下のように分析することができます。
- 1番うえの最初の小さな点は、1画目の勢いが終わる終筆としての点であり、同時に2画目の起筆の起筆部分です。
- 小さな点のあと、すぐにいったん細くなりやや太く長くつづく部分は、起筆の送筆部分。
- 次に細くなる部分は、起筆の終筆部分であると同時に、送筆への入筆部分。
- やや右下へくねり、1画目と交わり太くなる部分は、送筆の起筆部分。
- 垂直方向にむかってかすれている部分は送筆の送筆部分。
- さらにやや左下へ向かう部分は、送筆の終筆から終筆の起筆を準備するすがた。
- 最後に若干右下に向きはじめた前半部分が終筆の起筆部分から終筆の送筆部分。
- 右下へ抜けていくところが終筆の終筆部分。
「樓」の2画目から読みとれるように、この揺れは、三折法(トン・スー・トン)の延長線上に黄庭堅が新たに生み出した九折法で書かれているのです。つまり三折法を完璧にのみこんだ最先端の草書が「李太白憶旧遊詩巻」なのです。
まとめ
もともと毛筆もペンも鉛筆も、筆記用具であるかぎり、一折法(スー)または二折法(トン・スー)による書き方がもっとも自然で適しています。
そこから、石に文字を刻ることで、三角形の起筆・終筆が生まれます。この三角形の起筆・終筆が、毛筆の筆づかいで表現されるようになったことで三折法(トン・スー・トン)が生まれ、毛筆は筆記用具であることを超えて表現用具となりました。
同時に、紙は表記するための場所から、石に刻された文字を表現するようになったことで、表現するための場所になりました。
文字を書きつけるということが、文字を書きつける以上の表現をふくむ書道の文化は、唐時代の初期に行われ始め、宋時代に完成しました。この過程の中で、三折法を基盤とする楷書体が、行書体、草書体の正式書体とする構造も生まれました。
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参考文献:「書道はどういう芸術か」石川九楊