美人董氏墓誌(びじんとうしぼし)について解説
美人董氏墓誌は、中国の隋時代、597年(開皇17年)に刻された墓誌です。
墓誌とは、お墓におさめられている亡くなった方の情報が彫られた石碑のことです。
中国清時代の嘉慶・道光年間(1796~1851)に陝西省興平県で出土しました。
古来、隋時代の墓誌の傑作にあげられてきた作品ですが、原石は太平天国の乱(1853)でなくなってしまいました。
拓本のサイズは52×52㎝。文字は21行、行ごとに23字。全文で441字あります。
「美人」とは、後宮の官名の1つで、この董美人は、文帝の第4子である蜀王楊秀に仕えましたが、わずか19歳で亡くなってしまいました。誌文の作者は王である楊秀じきじきのもので、内容は董氏が亡くなったことを悼んでいます。
誌面に剥落はほとんどなく、筆画は良好で、洗練成熟した小楷(小さい文字の楷書)です。
原石からとられた拓本は少なく、有名なだけに摸刻本が多いです。
美人董氏墓誌(びじんとうしぼし)の原石拓本・全文の釈門
隋時代を代表する楷書作品の一つとして知られる逸品ですが、原石は無くなってしまっています。
そのため拓本はとても少なく、重刻本が多く出回っているため注意が必要です。今回紹介するような、原石からとった数少ない拓本は非常に貴重です。
美人董氏墓誌銘。
美人姓董,汴州恤冝縣人也。祖佛子,齊涼州刺史,敦仁愽洽,標
譽郷閭。父後進,俶儻英雄,聲馳河渷。美人體質閑華,天情婉嫕,恭以接上,順以承親,
含華吐艶,竜章鳳采 ,砌炳瑾瑜,庭芳蘭蕙。既而来儀魯殿,出事梁臺,搖環佩於芳林,
袨綺繢於春景,投壷工鶴飛之巧,彈棋窮巾角之妙。妖容傾国,冶咲千金,妝映池蓮,
鏡澄窓月。態轉廻眸之艶,香飄曳裾之風,颯灑委迤,吹花廻雪。以開皇十七年二月
感疾,至七月十四日戊子終于仁壽宮山第,春秋一十有九。農皇上藥,竟無救於秦
醫,老君靈醮,徒有望於山士。怨此瑶華,忽焉凋悴,傷兹桂蘂,摧芳上年。以其年十月
十二日葬于龍首原。寂寂幽夜, 茫茫荒隴,埋故愛於重泉,沉餘嬌於玄隧。惟鐙設而
神見,空想文成之術,弦管奏而泉濆,弥念姑舒之魂。觸感興悲,乃為銘曰:
高唐獨絶,陽臺可怜。花耀芳囿,霞綺遥天。波驚洛浦,芝茂瓊田。嗟乎頺日,還随浚川。
比翼孤栖,同心隻寝。風巻愁幕,氷寒涙枕。悠悠長暝,杳杳無春。落鬟摧櫬,故黛凝塵。
昔新悲故,今故悲新。餘心留想,有念無人。去歳花臺,臨観陪践。今兹秋夜,思人潜泫。
遊神真宅,歸骨玄房。依依泉路,蕭蕭白楊。墳孤山静,松疏月涼。瘞兹玉匣,傳此餘芳。
惟開皇十七年歳次丁巳十月甲辰朔十二日乙卯
上柱國益州總管蜀王製