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九成宮醴泉銘の全文現代語訳/日本語訳

2025 4/12
中国の法帖 楷書
2025年4月12日

九成宮醴泉銘きゅうせいきゅうれいせんめいは、魏徴ぎちょうが文章を作り、欧陽詢おうようじゅんが文字を書きました。

九成宮醴泉銘の全文現代語訳/日本語訳を紹介します。

また、九成宮醴泉銘の書き方・臨書のコツなどは「欧陽詢の九成宮醴泉銘について詳しく解説【臨書の正しい書き方・特徴・コツ・書風/内容なども紹介】」をご覧ください。

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九成宮醴泉銘の全文現代語訳/日本語訳

貞観じょうがん6年の初夏4月、皇帝は九成宮きゅうせいきゅうに避暑なされた。これはつまり隋ずいの仁寿宮じんじゅきゅうである。山の頂きに宮殿を高く構え、谷をせきとめて池をつくり、水をまたいで橋をかけ、岩山を分けて宮門をそびえたたせる。高閣はめぐりたち、長い廊下は四方に走り、さまざまな建物がはるかに続き、高殿が高低いり乱れて建つ。仰ぎ見れば、その高くそびえる様は百尋ひゃくじん(長さの単位、一尋は1.8m)ばかり、見おろせば深くはるかなことは千仞せんじん(高さの単位、一仞は2mあまり)もあるほど。真珠や璧玉が照り映え、金と碧が輝きを競うかのようであり、雲霞うんかを灼やけつくすように照らし、日月じつげつを覆おおい隠さんばかりである。このように山を移し、僩たにがわをめぐらして、贅沢ぜいたくを極め、多くの人を自己の欲のまま従わせたのを観みれば、大いに心とがめるが、金をも溶かす炎天にも、蒸し暑さとてなく、微風が静かにそよぎ、清らかな涼しさがあるのに至っては、まことに体を休めるのによい所であり、まことに心を養うのに勝すぐれた地である。漢の甘泉宮かんせんきゅうでさえも、この点ではかなわないだろう。

太宗たいそう皇帝は、20歳にして尚書令しょうしょれいとして天下を治め、30歳となると帝位に即位され、たくさんの民を安んじ治められた。はじめは武功でもって天下を統一し、のち文徳ぶんとく(武力ではなく、学問によって)でもって遠い国の人々をも懐なつけられて、東は青丘せいきゅうを越え、南は丹徼たんきょうを越える国々まで、みな宝物を献上けんじょうしその土地の物産をささげ、通訳を重ねて来朝し、西は輪台りんだいに及び、北は玄闕げんけつに至るまで、みな土地はわが中国の州県の1つとなり、人々は戸籍こせきに編入されたのである。気候は穏やかで、4時は順調に循めぐり、近きは安らかで遠きはつつしみ、生きとし生けるものみな生を全まっとうし、天のめでたい贈おくり物ものがことごとく至った。これは天地の功によるものではあるが、つまるところ、天子の思おぼし召めしのおかげである。我が身を忘れて万物を利し、風に櫛くしけずり雨に沐もくし(濡れる)、民衆を思いやって、その憂うれい(心配)のあまり病いとなられた。それは堯帝ぎょうていが政治の疲れの為に皺しわだらけになったことに同じく、禹王うおうが治水(洪水にならないよう)に駆かけ回って足を痛めたこと以上である。そして何度も治療されたが、なお肌には張りがなく病気は思わしくなかった。

皇帝は京師みやこの宮殿におられ、いつも夏の激しい暑さに疲れられた。そこで群臣は離宮を建てて心をやすめ静養されることを願ったが、陛下は一夫の労力をも大切にされ、十家の財産をも惜しまれて、かたく拒こばんで、承知しようとされなかった。そこで考えられたこのには、隋ずい氏の旧宮である仁寿宮じんじゅきゅうは、前代に作られたものであり、これを棄ててしまうのはまことに惜しく、また壊すのは労力を重ねることとなる。ものごとは、旧ふるいものに循したがうのを大切にするべきであり、どうして改めて作る必要があろうか、とのことであった。そこで華美な彫刻を削って質素なものとし、削り去った上にさらに削り、贅沢なところや過度なものを取り去って、また崩れている所は葺ふきなおした。その結果、丹塗りの墀にわに砂や小石をまじえ、白い壁に泥をまじえて、玉ぎょくを敷きつめた石畳いしだたみが土の階段に接し、茅葺かやぶきの建物が玉で飾った宮室に続くこととなった。仰いでその壮麗さをみては、滅び去った隋の代をおのれのいましめとすることができ、俯して倹素なさまをみては、教えを後世に示すに足るものである。これはいわゆる「至人は為なす無く、大聖は作なさず」ということであり、かの隋の文帝ぶんてい(隋の初代皇帝)がその力を尽くしたものを、わが太宗皇帝が享受きょうじゅするというわけである。

ところで、旧時の沼地はみな谷川の水を引いてきたものであり、この九成宮の城内にはもともと水源がなかった。求めようにも無いのが、この水であったのであり、人の力ではどうしようもないものであったが、皇帝はこのことを心に懐おもい、忘れられなかった。さて4月16日のこと、皇帝は皇后とともに、城内の建物を見て回られた。西城の下を散歩し、高閣の下に立ち止まって、うつむいてその土をご覧になったところ、かすかに湿り気があるのを感じられた。よって杖つえで突きさすと、泉がそこから湧きだしたのであった。そこで石の井桁いげたでその泉を囲んで水を溜ため、その水を引いて水路を作った。その清らかさは鏡のよう、味の良さは醴あまざけのようであった。水は南に丹霄殿たんしょうでんの右に注ぎ、東に流れて双闕そうけつをこえ、青瑣せいきをつらぬいて流れ、紫房をめぐりとりまいて、清波をはげしくたてて流れ、きずやけがれを洗い去る。その水は正性を導き養うことができ、心を清め磨くことのできるものであり、様々な形をありのままにうつし出し、万物を潤うるわしはぐくむ。それは天地の恵みが尽きないのに同じく、皇帝の恩沢おんたくが絶えないのに等しい。このことはただ天の精華であるばかりではなく、思うにまた地の宝でもあるのである。

謹つつしんで考えてみるに、『礼緯れいい』には「王たる者の刑罰が罪に相当するものであり、恩賞が功にふさわしいものであって、それらが礼法にかなったものであれば、醴泉れいせんが宮中の庭に湧き出る」という。『鶡冠子かつかんし』には「皇帝の徳が上は天に及び、下は地に及び、中は万物に及べば、醴泉が出る」という。『瑞応図ずいおうと』には「王たる者の心が、純粋でおだやかであり、飲食物を献上させたりしなければ、醴泉が出て、それを飲めば長生きすることができる」という。『東観漢記とうかんかんき』には「光武帝の中元元年(56)に、醴泉が京師に出た。これを飲んだ者は、永年の病気がみな治癒ちゆした」という。してみると、このような瑞祥ずいしょうがあらわれたのは、まことに太宗皇帝を扶たすけるものであり、その永年の病気を除くことができるうえに、さらにその長寿をのばすこととなろう。

かくして公卿百官こうけいひゃっかんが駆けつけて、大いに驚いたが、我が皇帝は賢く謙遜けんそんの心をいだき、自らの美徳によるものだとはされなかった。たとえ美徳とされようとも、美徳だと自負してはならぬ、ということは、ただいにしえに聞くばかりのものではなく、また瑞祥を戒いましめとする、ということは、いまこの時にその実例を目まのあたりにした。これこそ天帝の降くだした瑞兆ずいちょうであり、天子の美徳であって、どうして私ののような浅学の者が、世のなかをはっきり見ることができるものであろうか。しかし、私の職務は天子の発言を記しるしておくことであり、その職に属してことを書しておかねばならない。国家のこの盛美を、記録に書き落としてはならないのであり、あえてありのままを述べ、ここにこの銘をきざむのである。

詞ことばにいう、皇帝は帝位につく運めぐりあわせを手に入れて、天下を統一された。皇帝がこうして千載一遇せんざいいちぐうの時にあたって帝位につかれると、万物は感応し、仰ぎ見てたたえた。その功績はかの大舜だいしゅん(儒教の聖人)よりも高く、懸命に勤め励まされたことは、かの伯禹はくう(伝説上の聖王)以上である。まさに空前絶後、三皇に達し、五帝にまさるものである。

天下のかなめを握り、人の道を守られたことは、これこそ聖これこそ神といえるもので、武威をもっては天下の混乱をおさめ、文徳をもっては遠き辺境の民族をなつけられた。古い記録にも記されず、開闢かいびゃく(世界の始まりの時)以来、家来として主君に服従したことのなかったものも、みな我が中国の公的な服装をして続々と来朝し、献上された宝物、地元の物産がたくさん並べられた。

大いなる道に名づけるべき名などなく、最上の徳は自らに徳があるとはしない。奥深い天のわざは、ひそかに運めぐりゆきわたり、そのかすかなことは測り知れない。民は井戸を掘っては水を飲み、田を耕たがやしては食べるが、天のめぐみに感謝するものもなく、どうしてそうした満ち足りた生活が天子のおかげであることを知ろうか。

天のなすわざには匂いも音もないが、万物はそれをもととして始まり、それぞれの形をうけて広がった。聖人が世に出たことに感じて、すべてはその性質をかえ、またその徳に応こたえて不思議なしるしが現れた。それは音に応する響きのようにはっきりしており、盛んで明らかなものであった。

(昔からすぐれた治世ちせいには)天は次々と大きな幸いを降し、盛んに多くの福をあらわした。雲氏うんし・竜官りゅうかん、亀図きと・鳳紀ほうきをはじめ、日が5色の光を含み、3本足の鳥があらわれるなど、楽人はそれをほめたたえて歌うのをとめることなく、史官はその記録に筆をやすめることができないほどであった。

最高の善には天は幸いを降し、最高の智者たる聖王はそれに喜ぶ。醴泉の水は低きに流れて地を潤し、さらさらと流れてけがれがない。ほとりに生える水草の味は旨うまく、水の醴あまざけにょうに甘く、また氷や鏡を思わせるほど清らかで澄すみわたっている。いくら用いようと日々に新しく、汲くめども汲めども尽きることがない。

道はその時どきに従ってやすらかに通じ、天の降くだす幸いは泉とともに広く流れ及ぶ。しかし我が皇帝はつねにおそれ慎まれて、美徳とするに値することも、そうは考えられない。粗末な住まいを尊び、楽しみにもはめをはずすこととてなく、天子の乗るにふさわしい立派な黄屋の車も欲しがることなく、天下をもって憂うれえとなされた。

前人は華美をもてあそんだが、我が皇帝は質素を大切にし、すなおで飾りけがない本来の姿もどして、文ぶんを質しつにかえられた。高いところに居いては、墜おちはしないかと懸念けねんし、満ち満ちたものを持っては、溢あふれはしないかと戒いましめつつ、このことを常に思い、行い、いつまでも正しい道を保っていれば吉を得るであろう。

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九成宮醴泉銘について、歴史的背景や書き方・臨書のコツなどを詳しく知りたい方は、
「九成宮醴泉銘について解説/臨書の書き方のコツは?気をつけたい3つの特徴を紹介【書道のうでまえアップ】」
をご覧ください。

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