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中国清時代の書道家・鄧石如(とうせきじょ)について解説

2025 4/12
中国の書家
2025年4月12日
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目次
  1. 鄧石如(とうせきじょ)の基本情報
  2. 鄧石如の生涯・人生
  3. 鄧石如と包世臣との出会い
    1. 包世臣による鄧石如の評価「国朝書品」
  4. 鄧石如の魅力とは
    1. 北碑派の流行
    2. 鄧石如より以前の篆書
    3. 鄧石如の篆書
  5. 鄧石如の作品

鄧石如(とうせきじょ)の基本情報

鄧石如像
鄧石如像

鄧石如とうせきじょは、中国の清しん時代中後期に活躍した書道家・篆刻てんこく家です。篆書てんしょ・隷書れいしょが専門の書道家です。

1743年(乾隆8年)~1805年(嘉慶10年)、本名は琰えん、字あざなは石如せきじょといいましたが、嘉慶帝かけいていの諱いみなの顒琰ぐうえんを避けるために、字あざなを名前にし、字を頑伯がんぱくに変えました。

安徽省あんきしょう懐寧県かいねいけん集賢関の人です。

懐寧県かいねいけんには皖公山かんこうざんがあるので、別号として完白山人かんぱくさんじんとも名乗りました。

鄧石如とうせきじょの生涯や評価については、主に包世臣ほうせいしん「完白山人伝かんぱくさんじんでん」で伝えられています。
現在、包世臣ほうせいしん「完白山人伝」は訂正される部分もでてきましたが、全面的に覆くつがえされるものではありません。
以下、「完白山人伝」に基本をおいて、誤りと思われる部分を修正しながら、彼の生涯を紹介していきます。

鄧石如の生涯・人生

鄧石如とうせきじょは、家計が苦しく、書道と篆刻てんこくが得意だったので、いたるところに書道作品と篆刻作品を売り歩いて生計を立てる人生でした。

その間、梁巘りょうけん、梅鏐ばいりゅう、張恵言ちょうけいげん、金榜きんぼう、曹文埴そうぶんしょく、畢沅ひつげんといった生計の援助者がいましたが、基本的に作品や印を売り歩くことの多い生活でした。

鄧石如とうせきじょが寿州じゅしゅうにおもむいた30歳ごろ、寿春書院じゅしゅんしょいんの院長梁巘りょうけんに出会い、その才能を認められました。
梁巘りょうけんは鄧石如を江寧こうねいの梅鏐ばいりゅうに紹介しました。

梅鏐ばいりゅうは名門で、家にはたくさんの金石拓本きんせきたくほんを所蔵していました。梅鏐ばいりゅうは鄧石如を8年間もとどめて、もれなく所蔵の碑版を鄧石如の閲覧に提供しました。

鄧石如ははじめの5年間は篆書てんしょに、あとの3年間は隷書れいしょに専念し、毎日朝早くから夜遅くまで休むことなく臨書りんしょにはげみました。

しかし、38斎のとき、梅鏐ばいりゅうの家での暮らしむきが悪化したので、鄧石如は荷をまとめてもとの売書売印の生活に戻りました。

江南こうなんの各地を訪れ、歙県しょうけんで作品を売っていたころ、張恵言ちょうけいげんに出会います。その張恵言ちょうけいげんの紹介で金榜きんぼうと交わりを持ちました。

金榜きんぼうは鄧石如を1年間客としてもてなし、家廟かびょうの楹聯えいれんや扁額へんがくを書かせたりしました。

その後、鄧石如は金榜きんぼうの推薦で戸部尚書こぶしょうしょの曹文埴そうぶんしょくに会い、曹文埴そうぶんしょくから書の才能を賛美されました。

1790年(乾隆55年)曹文埴そうぶんしょくの要請に応じて北京ぺきんへおもむき、劉墉りゅうようや陸鍚熊りくせきゆうなどの名士に会い、彼の書は「千数百年のこの作なし」と評価されました。

しかし、まもなく劉墉りゅうようは失脚してしまい、陸鍚熊りくせきゆうも急死してしまい、しかも文壇の大御所翁方綱おうほうこうがあいさつに来なかった鄧石如を非難したので、鄧石如は北京をはなれざるをえなくなりました。

その後、鄧石如は両湖総督りょうこそうとくの畢沅ひつげんにまねかれて幕客ばくきゃく(秘書)となり、そこで3年間滞在しました。

しかし、幕客の仲間とそりが合わず、51歳から再び旅を出る決心をします。畢沅ひつげんは別れの際に、鄧石如の故郷の懐寧に終老の資産としての田宅を買い与えました。
その後、鄧石如は郷里に住み、ときどき出遊をし、1805年(嘉慶10年)10月に63歳で亡くなりました。

鄧石如の人生は、書道作品と篆刻作品を売り歩いた生涯であり、意図的に権力者にへつらってその人に気に入られるようとしない、野生の強さともいえる「天真」を養って生きた生涯でした。
また、このひたむきな芸術家を支える梅鏐ばいりゅうや畢沅ひつげんなどの支援者と出会えるほど豊かな時代だったことも重要です。

鄧石如と包世臣との出会い

不遇をかこっていた鄧石如の評価を、一挙に高める役わりをしたのは包世臣ほうせいしんでした。

鄧石如が60歳、包世臣ほうせいしんは28歳のときのたった1度の出会いです。
鄧石如は包世臣ほうせいしんに、
「(1字の結構で)疎そである処ところは馬をもって駆かけぬけさせよ。密みつなどころはすきま風も透とおさすな。つねに余白を計算に入れて墨を充当すれば、奇趣きしゅが出る」
といって、書法を伝授しました。

書道作品や篆刻作品を売り歩くことの多かった鄧石如は、弟子を持ちにくい状況であったと想像されますが、包世臣ほうせいしんとの出会いは鄧石如にとって幸運だったといえます。
というのも、経世家であり論客の包世臣ほうせいしんは鄧石如を世間に広めることに努め、主に理論面での後継者となったからです。

鄧石如がひたむきに打ちこんだ書道は、包世臣ほうせいしんという理論家によってますます影響力を強め、その後の呉熙載ごきさい、趙之謙ちょうしけんらをはじめとする清しん時代後期の書道家たちに影響を及ぼすこととなりました。

包世臣による鄧石如の評価「国朝書品」

包世臣ほうせいしんの鄧石如に対する評価は、「完白山人伝かんぱくさんじんでん」以外にも述べられており、その中でもっとも重要なものに『国朝書品こくちょうしょひん』があります。

『国朝書品』では、清時代前半期の書道家をランクづけし、鄧石如がいかに優れているかを理論的に根拠づけられています。

『国朝書品』によれば、

  • 神品一人 鄧石如隷及篆書。
  • 妙品上一人 鄧石如分及真書。
  • 妙品下二人 劉墉小真書。姚鼐行草書。

とあり、以下つづいて能品上下、逸品上下、佳品上下と、9段階にわけてランク付けしています。

全部で97人を挙げていますが、最上級の「神品」には鄧石如の隷書と篆書をおき、次の「妙品上」にもただ1人だけ彼の八分と楷書をおきました。

鄧石如の魅力とは

では、これほど包世臣ほうせいしんが尊敬した鄧石如とうせきじょの作品の魅力とは何であり、その価値はどれくらいのものなのでしょうか。

北碑派の流行

「中国の書法は魏ぎ晋しん以降、南派みなみはと北派きたはに分かれた。従来の人々はほとんどみな南派の書ばかりを見て、北派の書はその存在さえ知らなかった。しかし書の正統は、この忘れられている北派の書の中にこそ伝わっているのである」
という内容の阮元げんげんの『南北書派論なんぼくしょはろん』は、清しんの道元どうげんのはじめごろに主張されました。

この主張は、幻まぼろしの王羲之おうぎし像を追い求めていた帖学派じょうがくは(南派)にとっては斧の一撃にも似て、以後の書道界は大きく碑学派ひがくは(北派)に傾くことになりました。

鄧石如はこれが主張される直前に活躍している書道家です。
『南北書派論』が説かれる背景として、金石きんせきを研究して篆書てんしょ、隷書れいしょを書く人が多くなり、当時、文字の獄が大きく興ったことと関連して、学者や読書人は特に考証学こうしょうがくに力を入れるようになっていました。

鄧石如より以前の篆書

鄧石如とうせきよより以前に篆書てんしょ(小篆しょてん)を書いていたもっとも有名な人に王澍おうじゅがおり、つづいて銭坫せんてん、孫星衍そんせいえん、洪亮吉こうりょうきつらがいました。

この4人が書いた小篆しょうてんはほどんど同じ雰囲気で、筆遣いは細く痩せて型にはまっており、配置が均等になっています。

彼らが使う筆は、均整をもとめるため筆の先を切ったり、また筆を使わずに細薄の布を束ねて小さく巻いたもの(綢子捲ちゅうしけんといい、孫星衍そんせいえんが常用したといわれている)で、線が均一な小篆を書いたりしました。

こうした均整な面では、王澍おうじゅがもっとも完璧であり、銭坫せんてんの晩年の左手の小篆は自然であるとされていますが、そうじて表面的な形の洗練にとどまっていて、筆力のある線には至りませんでした。

鄧石如の篆書

鄧石如の最初の努力は、ごく普通の柔毛筆をつかって、玉筯篆ぎょくちょてんとよばれる変化をおさえた李陽冰りようひょう風の篆書に生命を盛り込んだことです。

そして懸腕けんわんによる逆入ぎゃくにゅうと中鋒ちゅうほうによって、それまで誰もなしえなかった秦篆や漢隷の格調を再現することを可能にしました。

天才は時代を先取りするという言葉通り、翁方綱おうほうこうらの攻撃中傷にもめげず、努力をつづけ、ここに新しい書法が確立したのです。

鄧石如の打ちたてた業績ががあったことで、『南北書派論』が説かれ、それ以降の碑学の発展が可能になりました。

李兆洛りちょうらくは彼の墓誌銘ぼしめいで、「真気は弥満ぴまんし、楷則は俱ともに備わり、手の運ぶ所、心の追う所、時俗を絶去し、古初に符を同じくす」と絶賛しています。

鄧石如の作品

鄧石如隸書五言聯 軸
鄧石如隸書五言聯 軸

釈門:思於物有濟。愧為人所容。(隸書)。甲子(西元一八0四年)秋九月完白山人書於鄭齋。(隸書)。

鄧石如篆書謙卦軸
鄧石如篆書謙卦軸(39歳)
四体帖行書
四体帖行書①(55歳)
四体帖行書
四体帖行書②
四体帖行書
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