「古今和歌集ってそもそも何時代の歌集?」「特徴や成立の経緯が知りたい」――そんな疑問を持って調べている方も多いですよね。古今和歌集は平安時代前期、延喜5年(905年)に成立した日本で最初の勅撰和歌集です。国語の教科書で名前は見覚えがあっても、いざ全体像を掴もうとするとつかみどころがない歌集でもあります。
この記事では、古今和歌集の成立背景・撰者・全20巻の構成・歌風までをやさしくまとめていきましょう。加えて、書道を学ぶ方にとってこの歌集が持つ意味――仮名書道の出発点としての側面にも触れていきます。順に読み進めていけば、文学史としての古今和歌集と、書として伝わった古今和歌集、両方の輪郭がつかめますよ。
古今和歌集とは――まず知っておきたい要点

古今和歌集(こきんわかしゅう)は、延喜5年(905年)に成立した日本で最初の勅撰和歌集です。醍醐天皇の命令によって、紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の4名が撰者となり、全20巻におよそ1100首の和歌をまとめました。巻頭には紀貫之による仮名の「仮名序」、巻末には紀淑望による漢文の「真名序」が置かれています。
古今和歌集は、日本の仮名書道にとっても出発点にあたる歌集です。平安時代に書写された「高野切」などの古筆は、今も仮名の手本として使われていますよ。この記事では成立・構成・歌風とあわせて、書道の視点からも見えてくるものをまとめていきましょう。
古今和歌集の成立――国風文化と仮名の時代

古今和歌集が成立したのは平安時代前期、国風文化(こくふうぶんか)が芽生えてきた時期です。万葉集から100年ほどの間に、漢字をもとにした「仮名」が整えられ、和歌を日本語の音のまま書き留められるようになっていました。「古今」とは、万葉集以後の古い歌と編纂当時の新しい歌をあわせた、という意味です。
国風文化の芽生えと遣唐使の停止
それまで日本は長く中国(唐)の文化を手本にしてきましたよね。しかし寛平6年(894年)に菅原道真の建議で遣唐使が停止され、日本独自の感性を表現する方向へと重心が移っていきます。その流れのなかで、仮名による和歌が文学として確立していきました。古今和歌集は、そうした「日本らしさ」を意識しはじめた時代の、最初の公式な成果物のひとつです。
延喜5年(905)の成立と編纂の経緯
成立年は醍醐天皇の在位中にあたる延喜5年(905年)とされています。ただし延喜13年(913年)の歌合の歌が入っている点などから、「905年は完成年ではなく、編纂を命じられた年」だとする説もあり、完成後も歌の追加や改変が行われていたと見られています。
撰者は4名――紀貫之を中心とした編纂チーム

醍醐天皇の命令を受けて、実際に和歌を選んだのは紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の4名です。いずれも当時を代表する歌人で、ばらばらに伝わっていた和歌が、このチームによって1つの歌集にまとめあげられました。特に紀貫之は仮名序を書いた人物として知られており、古今和歌集の「顔」と言える存在ですね。
| 撰者 | 読み | 古今和歌集での役割 |
|---|---|---|
| 紀友則 | きのとものり | 4人の筆頭格。編纂途中で没したと伝わる |
| 紀貫之 | きのつらゆき | 仮名序の執筆者。撰者のリーダー的存在 |
| 凡河内躬恒 | おおしこうちのみつね | 叙景歌に優れた歌人 |
| 壬生忠岑 | みぶのただみね | 繊細な抒情歌で知られる歌人 |
紀友則は編纂の途中で亡くなったと伝えられていて、実質的には紀貫之が中心となって進めたと考えられています。1人の歌人の個人作品集ではなく、チームで選び抜かれた公式の歌集という点が、「勅撰和歌集」の大きな特徴ですよね。
古今和歌集の内容と構成
古今和歌集は、和歌およそ1100首を全20巻に分けて収めています。テーマごとの「部立」という分類方式がはっきり整っており、四季の移ろいや恋の段階に沿って読めるように配列されているのが特徴ですね。部立ての枠組みは、後の勅撰和歌集にそのまま受け継がれていきますので、まず全体像を押さえておきましょう。
全20巻の部立て一覧
巻ごとの部立てを一覧にまとめました。四季が6巻、恋が5巻と、この2つで半分以上を占めているのが分かりますよ。
| 巻 | 部立て | テーマ |
|---|---|---|
| 巻一 | 春上 | 立春から春半ばまで |
| 巻二 | 春下 | 春の終わり・桜の散りぎわ |
| 巻三 | 夏 | 夏の景物(ほととぎす・橘など) |
| 巻四 | 秋上 | 立秋から中秋まで |
| 巻五 | 秋下 | 紅葉・晩秋 |
| 巻六 | 冬 | 雪・年の暮れ |
| 巻七 | 賀(が) | 祝賀の歌 |
| 巻八 | 離別 | 別れの歌 |
| 巻九 | 羇旅 | 旅の歌 |
| 巻十 | 物名(もののな) | 物の名を歌に詠み込んだ歌 |
| 巻十一 | 恋一 | 忍ぶ恋の始まり |
| 巻十二 | 恋二 | 思いを告げるまで |
| 巻十三 | 恋三 | 逢瀬と迷い |
| 巻十四 | 恋四 | 別れと悩み |
| 巻十五 | 恋五 | 終わった恋への追憶 |
| 巻十六 | 哀傷 | 死を悼む歌 |
| 巻十七 | 雑上 | 分類しきれない歌(前) |
| 巻十八 | 雑下 | 分類しきれない歌(後) |
| 巻十九 | 雑体 | 長歌・旋頭歌など短歌以外 |
| 巻二十 | 大歌所御歌 | 宮廷儀礼で歌われた歌 |
四季・恋・雑――テーマの配分
部立てを大きく分けると、四季(6巻)・恋(5巻)・雑(2巻)が中心で、これだけで全体の7割近くを占めます。自然の移り変わりと人の感情を主題にすえる、という古今和歌集の世界観が、ここからはっきり読み取れますよ。現代の短歌や俳句にもつながる「季節を詠む」という感覚の原点が、ここに整っているとも言えます。
仮名序と真名序――ふたつの序文
古今和歌集には、巻頭に紀貫之による仮名序(かなじょ)、巻末に紀淑望による真名序(まなじょ)という、2つの序文が置かれています。仮名の序と漢文の序が一組になっているのは古今和歌集ならではで、どちらも和歌とは何かを論じた最初期の文学論として、後の時代に大きな影響を与えました。ここはテスト対策としても重要ですので、しっかり押さえておきましょう。
仮名序の冒頭――「やまと歌は、人の心を種として」
仮名序の冒頭は、和歌を学んだことがある人なら一度は耳にしたことがあるはずです。
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
大意は「和歌は人の心を種として、そこから無数の言葉の葉が生まれてくるものだ」というもの。仮名序では、和歌の本質や歴史が論じられ、柿本人麻呂や山部赤人といった万葉集の歌人、僧正遍昭をはじめとする六歌仙への批評も書かれています。歌集の成立事情や、後世まで読み継がれていくようにという抱負も示されていて、日本文学史上最初のすぐれた歌論・文学論として評価されています。
真名序との違い――紀淑望の漢文
もう一方の真名序は、紀淑望が漢文で書いたものです。内容は仮名序と重なる部分も多いですが、当時の公式文書は漢文、という慣習があったため、あえて漢文の序文も添える形になりました。仮名の序と漢文の序が両方置かれていること自体が、国風文化の過渡期だった平安前期の空気を伝えていますよね。なお、後世の文学に与えた影響は、仮名序のほうが圧倒的に大きいです。
仮名序は、日本で書かれた書論(書に関する論)の源流のひとつとしても読めます。書論の読み方や書道との関わりは、書論とは?書道をする際に役に立つ書論の読み方を紹介でまとめていますので、あわせて読んでみましょう。
歌風の3期区分
古今和歌集に収められた歌は、およそ150年間にわたって詠まれたものです。期間がとても長いため、研究上は次の3期に分けて読むのが一般的になっています。時代が進むにつれて歌風がどう変化していったのか、順に見ていきましょう。
第1期――よみ人知らずの時代
第1期は、万葉集に次ぐ時代から平安時代初期の嘉祥3年(850年)ごろまでを指します。万葉集から古今和歌集への過渡期にあたり、素朴で率直、明るくておおらかな万葉調を色濃く残しつつ、王朝的な優雅さや繊細さもうかがえる、という二重性が特徴ですね。修辞には序詞・枕詞が多用され、リズムは五七調が多くなっています。
この時期の歌には「よみ人知らず」と書かれた作者不明の歌がほとんどで、古今和歌集全体の4割を占めます。作者名より歌そのものが重んじられていた時代の空気を、まだそのまま引きずっているわけです。
第2期――六歌仙の時代
第2期は嘉祥3年(850年)から寛平2年(890年)ごろまで。前代の率直な詠み方から、しだいに理知的・技巧的な方向へと進み、豊かな情感が詠み込まれるようになります。ここで古今和歌集らしい歌風がほぼ確立しました。修辞には縁語・掛詞が多用され、リズムは七五調が多くなっていきます。
この時代を代表するのが、仮名序で名前があがる六歌仙です。「歌仙」とは優れた歌人という意味で、6人それぞれが違った個性を持っています。
| 歌人 | 読み | 歌風の特徴 |
|---|---|---|
| 僧正遍昭 | そうじょうへんじょう | 僧侶らしい機知と洒脱さ |
| 在原業平 | ありわらのなりひら | 情熱的で大胆な恋の歌 |
| 文屋康秀 | ふんやのやすひで | 言葉遊びと巧みな比喩 |
| 喜撰法師 | きせんほうし | 作品は少ないが格調高い |
| 小野小町 | おののこまち | 繊細で内省的な恋歌の名手 |
| 大伴黒主 | おおとものくろぬし | 野趣に富んだ素朴な歌風 |
六歌仙以外にも、在原行平・藤原敏行・大江千里といった歌人が活躍しました。「平安の雅やかな和歌」と聞いて浮かぶイメージの型は、この時期に整っていったと考えておきましょう。
第3期――選者の時代
第3期は寛平2年(890年)ごろから古今和歌集成立まで、つまり延喜5年(905年)前後にかけての時期です。前代よりさらに理知的・観念的になり、ここで古今和歌集の歌風が完成します。言葉の機知を尊び、技巧的で優美・繊細な歌が多くなりました。縁語や枕詞に加えて、見立て・擬人法などの比喩も多用されます。リズムは七五調、三句切れの歌が多くなるのもこの時期の特徴ですよ。
代表的な歌人は、紀貫之ら撰者自身のほかに、素性法師・在原元方・伊勢など。自分たちの手で歌集を編むからこそ、自分たちの歌風がそのまま集の基調になる、という構造ですね。
代表的な和歌と現代語訳
古今和歌集の有名な和歌を、春・恋・雑から1首ずつ見ていきましょう。
春――紀友則「久方の光のどけき春の日に」
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
――紀友則(きのとものり)
訳は「日の光がのどかに差している春の日に、どうしてこんなに落ち着きなく桜は散るのだろう」。百人一首にも採られた名歌ですよね。のどかな春と慌ただしく散る桜の対比が、31文字のなかでみごとに捉えられています。
恋――小野小町「花の色はうつりにけりないたづらに」
花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに
――小野小町(おののこまち)
「花の色も、長雨を眺めて物思いにふけっているうちに、あせてしまった。わたしの美しさもまた同じように」。「ふる」が「(雨が)降る/(時が)経る」、「ながめ」が「長雨/眺め」の掛詞になっていて、六歌仙の歌風を象徴する一首ですよ。
雑――紀貫之「人はいさ心も知らず」
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
――紀貫之(きのつらゆき)
訳は「あなたの心は変わったかもしれない。でもこの里では、梅の花だけは昔と同じ香りで咲いている」。久しぶりに訪れた宿の主人と交わした挨拶代わりの歌で、撰者・紀貫之の代表作として広く親しまれてきました。
書として伝わった古今和歌集――仮名書道の原点
文学史ではあまり語られないのですが、古今和歌集は日本の仮名書道にとって原点にあたる歌集です。平安中期以降、読むだけのものではなく「書き写して鑑賞する」対象として、能書家の手で清書されてきました。そうして書き写された写本が「古筆」と呼ばれて珍重され、今日の仮名書道の手本になっています。
高野切――現存最古の古今集写本
古筆のなかで最も名高いのが、11世紀半ばに書写されたとされる「高野切」です。古今和歌集を仮名で書き写した巻物で、現存する古今和歌集の写本としては最古級にあたります。筆者は一人ではなく、筆致の違いから「第一種・第二種・第三種」の3種類に分けられており、高野切第一種・第二種・第三種について時代や特徴を解説でまとめたとおり、仮名書道を学ぶ人は3種それぞれを手本として学んでいきます。
第一種は気品のある端正な書きぶり、第二種はふくよかで流れが豊か、第三種は線が細く鋭い、というふうに、同じ歌集の写本でも書き手が違うと印象ががらりと変わりますよ。それぞれの時代背景や線質の違いは高野切の解説記事で詳しく触れています。
関戸本古今集と古筆の世界
高野切と並んで有名な古今和歌集の古筆が、「関戸本古今集(せきどぼんこきんしゅう)」です。平安中期に書写されたと伝わり、のびやかで情感のある仮名の姿が魅力で、仮名書道では重要な手本のひとつですよ。詳細は関戸本古今集についてで紹介していますので、見比べてみましょう。
ほかにも「本阿弥切」「元永本古今集」など、古今和歌集を書写した古筆はいくつもあります。古今和歌集は「和歌の教科書」であると同時に、「書の教科書」でもあるわけですね。平安古筆の全体像はかな書道をしている人なら最低限知っておきたい平安古筆の知識でもまとめていますので、あわせて読んでみましょう。
仮名序が持つ書論としての価値
仮名序は歌論として有名ですが、同時に「和歌という表現をどう書きあらわすか」という感覚を伝える、最古級の日本語テキストでもあります。読んでみると、当時の人が仮名という文字に何を託そうとしていたのかが見えてきて、線の一本一本に込める気持ちが少し変わってきますよ。
仮名書道を基礎から学んでみたい方は、SHODO FAMのオンライン書道教室で、仮名を専門とする講師のレッスンを受けられます。SHODO FAMはコースごとに専門の講師を配置していますので、高野切や関戸本古今集といった古今和歌集の古筆を、その道の先生にしっかり見てもらえるのが特徴です。まずは体験から試してみて、自分に合うかどうかを確かめてみましょう。
なお、仮名を書くときには細くしなやかな小筆が合います。仮名に向く筆の選び方は書道筆のおすすめランキングで紹介していますので、手元の道具を見直すタイミングで参考にしてみましょう。
古今和歌集が後世に与えた影響
古今和歌集は、成立後も長く和歌の規範であり続けました。部立ての構成、歌風、修辞の型が、どれも後続の勅撰和歌集の手本となり、日本の和歌文化全体の土台を作ったわけです。ここでは、その影響を2つの側面から押さえておきましょう。
八代集・二十一代集への系譜
古今和歌集を第1集として、後撰和歌集・拾遺和歌集・後拾遺和歌集・金葉和歌集・詞花和歌集・千載和歌集・新古今和歌集までの8つの勅撰和歌集を「八代集」と呼びます。さらに13の勅撰和歌集を加えた全21集を「二十一代集」といい、室町時代まで編纂は続きました。古今和歌集が敷いた道筋が、数百年にわたって続いたわけですよね。
「君が代」の歌詞の源流
現代の日本にとっても、古今和歌集は意外と身近なところにつながっています。日本国歌「君が代」の歌詞は、古今和歌集の巻七「賀」の冒頭にある「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」が原型です(※原形は「わが君は」で始まり、後世に「君が代は」と改められて広まりました)。千年以上前に編まれた歌集が、今も国民の歌として生き続けているわけです。
よくある質問
古今和歌集はいつ成立しましたか?
一般には延喜5年(905年)の成立とされています。ただし延喜13年(913年)の歌合の歌が入っていることから、905年は完成年ではなく醍醐天皇から編纂を命じられた年とする説もあります。完成後も歌の追加や改変が行われていたと見られますので、「905年前後の平安時代前期に成立した」と押さえておきましょう。
古今和歌集は誰が編纂しましたか?
醍醐天皇の命令を受けて、紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の4名が撰者となって編纂しました。紀友則は完成前に亡くなったと伝えられており、実質的には紀貫之が中心となって進めたと考えられています。紀貫之は仮名序も執筆した中心人物です。
古今和歌集と万葉集の違いは何ですか?
万葉集は800年ごろに成立した現存最古の和歌集で、天皇から庶民までの歌を万葉仮名で収めた私撰的な歌集です。古今和歌集は905年ごろ成立の日本最初の勅撰和歌集で、仮名で書かれ、宮廷中心の雅やかな歌を部立てで整理しています。歌風も、万葉集は素朴で力強く、古今和歌集は理知的で繊細、と対照的です。
仮名序とは何ですか?
仮名序は、古今和歌集の巻頭に置かれた紀貫之による仮名の序文です。「やまと歌は、人の心を種として」で始まり、和歌の本質や歴史、柿本人麻呂・山部赤人・六歌仙への批評、成立の経緯などが書かれています。日本文学史上最初のすぐれた歌論・文学論とされ、後世の文学に大きな影響を与えました。
書道を学ぶ人が古今和歌集を読むべき理由は?
古今和歌集が、仮名書道の手本として使われる「高野切」「関戸本古今集」などの古筆の原本にあたるからです。同じ歌を書き写した古筆でも、書き手が違えば線質や表情はがらりと変わります。歌の内容を理解したうえで手本に向き合うと、筆者の意図まで感じ取れるようになりますよ。仮名書道を本格的に学びたい方は、SHODO FAMのオンライン書道教室で、仮名を専門とする講師の臨書レッスンから試してみましょう。






