私たちがふだん本やスマホで見ている活字としての楷書は、読むための符号としての役割をよく果たしています。
一方、書道をする人による楷書は、同じ楷書でありながらも活字とは違った多様な表情を示し、見た人にいろいろな感興をあたえてくれます。
今回は、楷書の成立、定義を確認した後に代表的な楷書の書風について解説していきます。
楷書体の成立
楷書体は約3世紀中期に発生します。5世紀中期には隷書に変わって標準書体として完成の域に達しました。
漢字は、基本的に篆書・隷書・楷書・行書・草書の5体に分けられますが、その中で篆書・隷書・楷書が標準書体とされ、行書・草書は補助的な書体として扱われてきました。紀元前3世紀に文字の第一典型として篆書が現れ、それから約200年を経て紀元前1世紀に隷書が第二の典型として成立します。
そして楷書は、それから約300年遅れ3~4世紀に第三の典型として生まれました。
成立してから約1500年たった現代社会においても、コミュニケーション・ツールとして実用書体の主役を果たしています。
楷書の定義
楷書とは、一画の中に始筆(起筆)、送筆、終筆(収筆)がはっきりとしている書体と定義づけられています。つまり、トン・スー・トンという三折を持つ書体のことを言います。
はっきりと整理された点画や折れ曲がり方が特徴です。
いろいろな書風
ここからは代表的な楷書の書風を紹介していきます。
南北朝の楷書
南北朝時代とは、中国の宋の太武帝が439年に華北を統一してから隋が全国を統一するまでの151年間、南朝と北朝が対立した時代のことを言います。
この間、南朝では宋・斉・梁・陳の四つの王朝が興亡(栄えてはすぐに滅びること)を繰り返し、また北朝では、北魏・東魏・西魏・北斉・北周の王朝が激しい興亡を繰り広げます。
南北朝の楷書は「造像記」「摩崖」「墓誌銘」「写経」の4つに分けて説明していきます。
造像記
造像記は北魏という王朝の楷書です。
この時代には仏教の復興が盛んになり、洛陽という場所では岩山で岩を彫って石窟寺院というお寺が作られます。もちろん仏像も岩を彫って作られます。仏像には仕えた主人や祖先、その妻子への祈りの文が彫り添えてあります。これが、造像記です。
つまり、造像記は紙に書いた文字ではなく石に彫った文字ということです。
特徴としては、左右に転折する鋭利な筆勢と、剛健な筆力です。自然の荒い石質が醸す素材感の風合いがおもしろいです。
摩崖
摩崖とは、切り立った山岳や岸壁などの自然の岩肌に、文字や仏像を彫刻したものです。これも造像記と同じように紙ではなく石に彫った文字ということになります。
表面の風化がひどく、正直読みづらいです。良く言えば線質に独特の趣があります。
墓誌銘
墓誌銘とは、死者の業績や栄誉を後世に残すために刻まれた碑のことです。後漢に入ると王侯や豪族らによる厚葬(死者を手厚く葬ること)が流行します。その結果、洛陽の北のいたるところに墓誌が建てられることとなり、その数十数万基に上るといわれています。国勢にまで影響が及んでしまったため、立碑を中止させる禁碑令が出されます。その結果地上には立てておけないので一部例外を除き、そのほとんどが地下に遺されることとなります。
文字の特徴として、地下で保管されていたため風化が進まず、発見されるまでその文字は刻されたままの完全な姿で残っています。どれも「造像記」や「摩崖」の文字よりも力強さが抑えられて美しい趣があります。 南朝の時代から進んで隋代に入ると、墓誌銘の文字はより整ってきて、次の時代である唐の楷書書法の基盤となっていきます。
写経
ここまで紹介してきたものはどれも石に刻する文字でしたが、写経は肉筆で書かれた筆跡です。経文を書き写すことを写経と言います。写経のように小さな楷書を「小楷」ともいいます。
日本でも遣隋使、遣唐使によって写経が伝わります。中国の制度・文化を吸収していき、文字を持たなかった日本文化が、奈良・平安時代に大きく変化しました。
特徴としては、墓誌銘と同じくらい整った字形と安定した点画でしょう。
唐代の楷書
唐代になるといよいよ楷書体としての完成の域に達します。
唐代の初期に活躍した書の名家の中でも、欧陽詢・ 虞世南 ・褚遂良は特に均整のとれた美しい楷書を完成させます。後世にも大きな影響を与えた三人の大家として「初唐の三大家」と呼ばれ、中国書道史上ひとつのピークをなしました。
彼らは唐の太宗皇帝の信任を得た政府の高官でもあり、特に文化政策の面で大きく貢献しました。当時の高官や貴族たちの弟子に対して、書を学ぶ上での指導者的な役割を果たしたことでも知られています。
なお、初唐の三大家と唐の中期に活躍した顔真卿をあわせて、「唐の四大家」と呼ぶこともあります。
唐代の楷書と言えば「初唐の三大家」ということで、 虞世南・欧陽詢・褚遂良 の3人について紹介していきます♪
欧陽詢
欧陽詢は幼少期から不幸な境遇でしたが、かしこく学問の才能があったため、隋代には政府の高官として仕え、唐代においても政府の高官として活躍しました。「九成宮醴泉銘」は「楷書の極則」ともいわれ、古くから楷書の典型として高い評価を得ています。
私たちが学校で習う漢字の形はこの「九成宮醴泉銘 」を参考に作られています。
虞世南
虞世南は、体つきが弱々しいながらも芯が強く、決して正論を曲げることがなかったといわれています。欧陽詢と同じく隋代から唐代にかけて高官として活躍しました。「孔子廟堂碑」は最も完成度の高い楷書の一つとして知られています。
褚遂良
褚遂良は優れた政治手腕をもって、虞世南が亡くなったあと、特に太宗皇帝の信任を得て活躍しました。楷書は晩年にいたって、筆圧の変化に富むリズミカルでおおらかな書風を完成させました。「雁塔聖教序」は、書道史上もっとも美しく洗練された書のひとつと言われています。