石門頌(せきもんしょう)とは

石門頌は、正式には故司隷校尉楗為楊君頌といわれ、中国後漢時代の148年(建和2年)の摩崖碑です。
摩崖碑とは、天然の岸壁を利用し、そこに文字を刻んだ作品をいいます。
現在、開通褒斜道刻石、楊淮表紀、石門銘など13種(14石)の1つとして、陝西省漢中市の漢中市博物館内「石門十三品陳列館」に置かれています。
高さ261㎝、幅205㎝。題額があり、本文は22行、行ごとに30~31字、全部で655字あります。
石門頌の内容
石門頌の内容は、楊孟文と王升が「褒斜道」というけわしい道を修理して通れるようにした、という功績を称えるものです。
楊孟文は犍為郡武陽県の人で、司隷校尉(中央の官吏を取り締まる)を担当していました。
西暦66年(永平9年)、大がかりに修復された褒斜道が、107・8年(永初元・2年)、巴蜀を侵略し、関中をも脅かす西羌の侵攻により、壊されて廃道となり、その後は別の子午道を利用していました。
しかし、子午道は険しい場所が多く、利用者は苦しんでいたため、褒斜道を再開するように順帝(在位・125~144)に意見を申し述べました。
楊孟文の献策は、一部の官僚の反対にあいましたが、しばしば自説を述べた結果、125年(延光4年)、順帝の許可が下り、褒斜道は修理され開通しました。
その後、148(建和2年)、楊孟文と出身が同じである漢中太守の王升が、楊孟文の功績を世間に明らかにするため、この間の事情を石門中に刻しました。
また王升も部下を派遣して褒斜道の補強に当たらせ、その治績の一端を、王升の属僚である趙邵らが記したのです。
褒斜道について
褒斜道は、秦・漢時代から開かれた要略で、当時、関中から蜀に向かうには、漢中を通りました。
その漢中までの道に、褒斜道・儻駱道・子午道の3つがあり、なかでもこの褒斜道がもっとも利用されていたようです。
66年(永平9年)司隷校尉鄐君によって切りひらいて道が通され、のち戦乱や天変地災によって漢時代でもたびたび断絶し、その後も開通、途絶をくりかえし、清時代になって再び利用され、石門頌をはじめとする摩崖碑が世に知られて尊重されるようになりました。
石門頌は摩崖なのに博物館に置かれている
石門頌は、岸壁に文字が刻された摩崖ですが、現在は漢中市博物館という博物館に置かれています。
どうして摩崖が博物館のなかにあるのでしょうか?
摩崖でありながら博物館に置かれている理由は、もともとあった場所の褒河水庫の建設による水没から救うため、1969年から3年がかりの切り取り工事の末、1971年に移転されたからです。
石門頌は、水没した褒斜道南端に位置する石門のトンネル内に刻されていました。東壁16.5m、西壁15.0m。南口の広さ4.2m、高さ3.45m、北口の広さ4.1m、高さ3.775mのトンネルの洞中西壁のほぼ中央部分。
石門頌の書風・特徴
石門頌の書風・特徴について、歴代の書道家たちによる評価では「勁挺」といわれています。
また、木簡のような部分や、漢碑らしく整斉として礼器碑をおもわせる部分や、流麗な曹全碑のような部分もあります。
字形においては、波磔のない四角形の字は、礼器碑風の行儀がよく左右対称の原則を守り、バランスの良い揺らぎのない字形をしています。
また、横画やしんにょうのあるものは、曹全碑の流麗さをおもわせます。「命」や「升」の大胆な縦画は、木簡でよくみられる特徴です。
1つの碑でこれほどさまざまな表現をくみこんだものは珍しいです。しかもそれがみんなばらばらなのではなく、渾然一体となっています。
石門頌の書体は隷書
石門頌の書体を分類すれば、隷書に分類されます。
しかし、同じ漢時代の碑に刻された隷書とはまったく違っています。
岸壁の凹凸が相当な段差をもつところもあるため、字の大きさにもばらつきが出て、それがかえって動感を盛りあげています。
石門頌に対する評価
昔の学者による石門頌に対する評価を紹介します。
石門頌に対する評価でもっとも古いものとして、王昶の『金石萃編』巻八があります。
王昶は、
「書体勁挺にして姿致あり。開通褒斜道摩崖の隷字の疎密斉しからざるものと各おの深き趣あり。推して東漢人の傑作となす」(『金石萃編』巻八)
と称揚しています。
また、楊守敬の『平碑記』巻一では、
「その行筆は、真に野鶴閑鷗のごとく、飄々として仙ならんと欲す」
と言っています。
このように、石門頌は勁挺でしかも飄逸、厳正でしかも寛綽といった書風が高く評価され、摩崖書の優品として重んじられています。
石門頌が注目されはじめるのは清時代から
石門頌が最初に文献にみえるのは、北魏時代の酈道元の『水経注』沔水です。
欧陽脩『集古録跋尾』、趙明誠『金石録』、洪适『隷釈』などにも採録されています。
さらに時代が進んで、清時代の乾隆・嘉慶期は金石学が盛んに行われる時代です。
このころからさまざまな金石書に石門頌をはじめ多くの石門摩崖が採録されるようになりました。
清時代の著録家のなかでは、王森文という人がもっともはやく褒斜道の実地調査を行い、1814年(嘉慶19年)に『石門碑醳』を出版しました。
その後また、羅秀書・徐廷鈺の『褒斜古迹輯略』という詳細な著録が出て、石門内外の題刻のほぼ全容が明らかになりました。
褒斜道にある他の摩崖碑を紹介
今回紹介している石門頌は、褒斜道にあった、と紹介しました。
褒斜道には、ほかにも有名な摩崖碑があるので紹介します。
開通褒斜道刻石
開通褒斜道刻石は、石門にある摩崖碑のうちもっとも古い作品です。
褒城県北方の岸壁に刻されたもので、後漢時代の明帝の永平9年(66)、漢中大守の鄐君の勅命によって、のべ77万人ちかくを動員し、4年かけて褒斜道を完成させた功業を記しています。
書風は一般的に石門頌に似ているといわれていますが、石門頌よりももっと古意があり格調の高いです。
字形は大小、長短さまざまで、なかには20㎝近くあるものがあり、その岩肌にマッチした書風はまことに自然で拘束されない伸びやかなものです。
また、その線質は篆書の雰囲気があり、折れの部分も丸みがあり、隷書特有のかっきりとした転折はみられません。
楊淮表紀
楊淮表紀は、正式には司隷校尉楊淮表紀といわれ、これも褒城県北の石門にあります。
後漢時代、173年(熹平2年)、この石門の地を通った黄門(皇帝に近侍して勅命を伝える役職)である卞玉が、同じ出身の先輩の楊孟文の石門頌をみて、その偉業をふり返り、孟文の孫にあたる司隷校尉とその従弟にあたる楊弼の官歴を記しました。つまり楊孟文の子孫を称えたものです。
構成は、7行、毎行25~26文字。書風は石門頌よりもっと稚拙で飾り気のない自然のおもむきが出ています。
また、この時期すでに漢碑第一と称される礼器碑がでており、その知性的な合理性に富んだ結体用筆は、石門にある摩崖碑の書風とは雰囲気が違っています。
このことは、都会と地方のちがい、あるいは摩崖碑特有の自然の岸壁という環境によるものかと思われます。
右扶風丞李禹表
右扶風丞李禹表は、『金石続編』には右扶風丞李君通閣道記とありますが、別名に李寿刻石、扶風丞李君刻石、李事改斜大台刻記ともいわれ、きまった題名がありません。
刻されたのは155年(永寿元年)とされていますが、126年(永建元年)とされる説もあります。
この作品も褒斜道石門西壁に刻されていて、開通褒斜道刻石の近くにあります。
碑面の大きさは小さく、縦72㎝、横42㎝で題名の「表」の1文字が大きく書かれています。
行数は7行で各行10~13字となっているようですが、磨滅がひどく確かな字数はわかりません。
内容は、李禹という人がけわしい桟道を修復したという功績を記したものです。
書風は、楊淮表紀ととても良く似ていて、少し小さめで、稚拙古雅で懐も広く、野趣に富んでいます。楊淮表紀より整っているようにもみえます。
石はすでに漢中修道のために壊されてしまっています。
石門閣道題名二種
盪寇将軍李苞通閣道題字
盪寇将軍李苞通閣道題字は、褒城県北の石門の褒斜道の褒谷の南端にあり、263年(魏景元4年)に刻され、南宋時代の1194年(紹熙5年)南鄭令晏袤によって発見されました。
内容は、褒谷にそって北から南に行く褒城に出る道がつくられていますが、それに閣道を通じたことを記念したものです。
行数は3行で、1行目、3行目が14字、2行目が10字です。
書風は素朴古拙です。各行が左に張るように反って、大小、長短さまざまです。
潘宗伯等造橋格題字
潘宗伯等造橋格題字は、270年(晋泰始6年)に刻されたものです。
1行20字、ただし下の2字は不明。
1つ上で紹介した盪寇将軍李苞通閣道題字の右上に斜めに刻されています。
題記の年号の泰始6年の「治」が明らかでないため異説もありましたが、現在は泰始に定着しています。
石門銘
ここまで紹介した碑はすべて隷書ですが、この石門銘は楷書で書かれています。
北魏時代、509年(永平2年)の刻で、同じ石門に刻られ、王遠の署名があります。
行数は28行、毎行22字。
最初に石門銘の3文字が書かれていますが、これは石の破損の関係からだいぶ下に下がって刻られています。
内容は、石門頌などと同じく、石門の修復を記念するもので、正始年間長く使われていなかった旧道を、假節龍驤将軍梁秦二州刺史羊祉が左校令賈三徳とともに修理して開通させた功績を称えたものです。
書風は、一応楷書に分類されますが、楷書の概念を破ったような伸びやかな姿で、かつ篆隷草の筆意を兼ねた躍動的なものです。前半は右に流れるように各行が移行し、下に行くにしたがって個々の字も左にかたむき、いかにも自然な率意の自由さが感じられます。
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