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池大雅(いけのたいが)について紹介
池大雅(いけのだいが)、江戸時代に活躍した文人画家 、書道家です。
享保8年~安永5年(1723~1776)、姓は池野、名は無名、字は貸成、大雅は雅号です。
幼少のころから聡明で、3歳のときから文字を書き(3歳のときの「金山」2字・池大雅美術館蔵)、5歳のときには上手にかくことができました。
6歳のときに香月茅庵に素読を習い、7歳のときから清光院一井に養拙流の書法を習いました。
宇治の万福寺で楷書の大字を書き、賞賛を博し、寺中の大衆は詩をつくって、大雅を称揚しました。
15歳のとき、扇屋を開き、翌年彫印店を開きました。
この年柳沢淇園に画法を問い、さらに土佐派の画法を学びました。
1741年(寛保元年)、19歳のころから篆刻に長じた高芙蓉、能書の韓天寿に親近しました。
1750年(寛延3年)、28歳のとき祇園南海に会い、画法を学び、翌年白隠に参禅しました。次の年清人の伊孚九に画法を学びました。
1771年(明和8年)、49歳のとき与謝蕪村と「十便十宜帖」を描きます。
晩年は東山の真葛ケ原の草堂で絵を描き、書を書きました。
大雅が小楷で賛を書いた「蘭亭・帰去来・西園雅集」の三幅の絵を75両で買った大名がおり、
「近世の書画にてかかる高料は聞も及ばず」と驚かれたといいます。
世間で好評を得ている人でも上田秋成は多く酷評を下していますが、大雅については「大雅堂が書画の名海内(国内)に聞えて、今は字紙一まいが無価の宝珠なりし」と激賞しています。
大雅の書は規模博大にして筆力が充実しており、迫力のある大雅独自の書です。
楷書・行書・草書をとくによくしましたが、篆書・隷書も書くことができ、どちらも優れています。