習い事

書道パフォーマンスで人気を得たいが本質を求めたいジレンマ

習い事

こんにちは、中村です。

書道離れが問題視されはじめてからもう何年もたちますが、高校生の書道界は元気だと言います。

書道をポップなものに進化させた書道パフォーマンスの影響によるものですが、一方で伝統的な書道を尊重したい考えの方々にはジレンマを生じさせています。

今回は、そんなジレンマを感じている方の代弁をし、これから書道パフォーマンスをどのような位置づけで発展させていくべきかを書いていきます。

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書道パフォーマンス賛成派

高校生の書道部の人気は、書道パフォーマンスにあるといえます。

書道パフォーマンスをみて書道に興味を持ってくれる人も多いのではないでしょうか。

書道パフォーマンスの魅力

衣装を着て、床に敷き詰めた大きな紙の上に立ち、大きな筆を振るって揮毫する。さらにそこに音楽が加わります。

音楽に合わせて1人で書くというよりも、数人がリレーして墨を置いて引き回したり、多人数がそれぞれの持ち場でそれぞれに与えられた歌詞や文章などを書いていきます。

そして、できあがったものを観客に披露して喝采かっさいを浴びる。

つまり書道は1人でつくるものではなく、団体競技になり、シンクロさせた団結力を誇示こじして、その態度を示すものに進化していると言えます。

より多くのひとに見てもらえる

道端で路上ライブをしていたら音楽が流れていて多くの人が群がっているので、自分もちょっと見てみようってなる気持ちわかりますよね。

書道パフォーマンスも路上ライブと同じような感じで人を集めることができます。

そして見た人が「自分も書道パフォーマンスやってみたい!」と思ってくれるわけです。

普通に生活していて「新しく書道展を見つけた」なんて経験はほとんどなく、見つけたとしても見に行ってみようとはならないですよね。

しかも古臭い読めない作品を見ても「こんなすばらしい作品自分も書けるようになりたい」とは普通なりません。

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書道パフォーマンス否定派

否定派の意見としては、

「パフォーマンスを好むのは目立ちたがり屋の底の浅さだ」

「衣装がかわいい、ダンスがかっこいいなどは本来どうでもよく、書いた作品が評価されなければならない」

といったものでしょう。

できた作品を評価するのが「書」

書も絵画も発表後、作品として鑑賞され、喝采を受けること。そして評価され続けなければ、本物の名作として評価はされません。

また不幸にして発表時たかい評価は受けなくても、後の世になってから評価される名品もあります。

作品を別にしてパフォーマンスで喝采を受けても、それは別世界のものです。

作品が鑑賞される価値がなければ、書でも絵画でも評価されたことになりません。

書道とは出来上がり、そして「鑑賞してもらう宿命」を帯びている芸術であるといえます。

昔の書道部の様子

書道パフォーマンスがなかったころ、現在でも書道パフォーマンスが盛んではない書道部の様子としては、静かな雰囲気に包まれていました。

1人1人が自分の世界に没頭し、自分の作品作りに励んでいました。

そしてそれが学校の中でも特別に静かで、心地よく落ち着く場です。

昔から文化部活動の人気は高かったとは言えず、ごく少人数の活動でした。

書道部では子供のころからお習字を習っていたひとが多かったのは当然ですが、高校生になり、古典などを学ぶようになって、何か違う別な書の世界を知った時期だったのではないでしょうか。

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本質と人気の両方を得たいジレンマ

今回のような問題は、利益よりも本質を求めたい派大衆に寄せて利益を求めたい派の求めるものの違いが重要になってくると思います。

昔に比べて高校書道部の人気とヒエラルキーが上がっていることはうれしいことであり、それは書道パフォーマンスのおかげでしょう。

これが上手く定着してくれれば、書道離れに歯止めがかかるという希望も見えますが、不安もあります。

現在でも多くの書道部では、古典臨書などにも力を入れているようですが、部員のなかには書道パフォーマンスがしたくて入部した人も多いのではないでしょうか。

特に、高校から書道を始めるひとの入部理由としては多いと思います。

スタートは大筆を引き回す身体の動きの格好の良さでもいいですが、どこかで書道本来の面白さと良さを知り、活躍してほしいですね。

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