欧陽詢など初唐の三大家などに代表される唐時代は、楷書の法帖が多いのに対して、蘇軾・黄庭堅・米芾が代表される宋時代以降、行草書の法帖が多くなります。
これには唐から宋にかけての文化の変革によるものがあると考えられます。
今回は宋時代以後、行草書が増えた理由について考えていきます。
宋の時代の書は意を取る
明時代の董其昌(1555~1636)は、「晋の人の書は韻を取り、唐の人の書は技を取り、宋の人の書は意を取る」(『容台別集』巻4、『書品』)と言います。
これを受けて清時代の馮班(1620~71)は、「晋の人は理に循いて法生じ、唐の人は法を用いて意出で、宋の人は意を用いて古法具さに在り。此を知りて方めて帖を看るべし」(『鈍吟書要』)と言い、「晋の人は理を用い、唐の人は法を用い、宋の人は意を用いる」とも言っています。
さらに、清の梁巘は「晋は韻を尚び、唐は技を尚び、宋は意を尚ぶ。元・明は態を尚ぶ」(『評書帖』)と言います。
董其昌が王義之・王献之(息子)の二王に代表される晋時代、欧陽詢など初唐の三大家などに代表される唐時代、蘇軾・黄庭堅・米芾の三大家に代表される宋時代の書風の特徴を韻・法・意の3つを説明すると、馮班と梁巘 はこの1文をふまえて少しアレンジした文章を書いたのでした。
韻・技・意、理・法・意の意味を説明するとなると難しいのですが、一応、韻は風韻、理は自然の原理、法は技法、意は意趣というような熟語に置き換えられると思います。
董其昌の考え方は基本的には今日でも受け継がれていて、唐時代と宋時代の書風に大きな違いがあることを認めています。
唐から宋への変化は唐宋変革期といわれていて、この時代は中国だけでなく東アジアが大きく変化した時代と一般に認識されています。
書風の変化もこのような変革と関係していることになり、宋の三大家はこの変革の時代に生き、多くの作品を残したのでした。
唐から宋への変革
顔真卿が活躍した安史の乱以後、中国は社会・経済・政治・文化などのあらゆる面で変化します。
唐の貴族政治から宋の中央集権的な官僚体制へ、貴族文化から士大夫文化へ、そして庶民の文化も盛んになってきます。
書は士大夫の文化であり、彼らの書斎から生み出されました。
文学では唐の韓愈のころから古文を復興させようという文学運動の動きがはじまり、この動きは文章や詩に新しい表現をもたらし、そして新しい思想を生み出しました。
書風変化の背景
このように唐から宋にかけての時代は変革の時代であり、書風も大きく変化したのですが、この変化にはいくつかの理由が挙げられます。
まず、『宮崎市定全集 巻24』によると、唐時代までの書法は単帖の作品が代表され、宋時代以後は集帖の作品が代表されます。
集帖派は多くの作品を見て鑑賞眼を養い、自分の趣味に合った書法を選択しました。
宋の初めに『淳化閣帖』が作られ、以後、つぎつぎと集帖が作られましたが、書風の変化の背景にこのような法帖の変化が挙げられるのです。
もう1つの理由に毛筆の発達が挙げられます。
北宋の中期ごろから従来の巻き筆に代わって、筆の穂が柔らかい水筆が一般化したため、筆の機能を生かした柔らかい字が書けるようになりました。
水筆が開発されたことによって宋人の意は表現しやすくなったのです。
唐時代では優れた楷書作品が多いですが、宋時代になると少なくなり、行草書が中心となります。
この背景には水筆の出現があるのです。