私たちがよく知っている王羲之の蘭亭序ですが、じつは本物ではなく、後の時代の人によって複製されたものです。
真跡は現存しておらず、だれもその本物の文字がどのようなものだったのかわからないのです。
そのため、複製本である蘭亭序が当時の文字を正確に伝えているかどうかについては、疑問があるとする見解も存在しています。
また、複製されたものだからなのでしょうか、蘭亭序を臨書する際に、点画の流れが不自然で、
「筆順がよくわからない」
「なんて書いてあるかよくわからない」
と思ったことはありませんか?「九」や「歳」という字の筆順が筆の流れが不自然で戸惑った経験があるはずです。
今回は、王羲之の蘭亭序が複製されたものということについて、また、蘭亭序は複製によって自然な筆脈を失い、臨書するのが難しくなったことについて解説していきます。
蘭亭序の真跡は残っていない
蘭亭序は、古来より書を学ぶ上での範書として多くの人に学ばれてきました。
しかし、私たちが現在、写真や法帖で見ることのできることのできる蘭亭序は、実は唐代以降(王羲之が亡くなってから300年以上あと)に複製されたもの(臨模本や搨模本)であり、真跡ではありません。
では、王羲之が生きていた時代の書風はどのようなものだったのでしょうか。
王羲之が生きていた六朝時代の書風(六朝書法)とは
王羲之が生きていた4世紀・六朝(東晋)時代の文字は、隷書が発生してから唐時代の楷書が成立するまでの過渡期的な位置にあたります。
もう少し説明を加えると、横画が目立ち、波磔が特徴の隷書から、縦画と横画が共存し、波磔をなくしたことによって三折法(トン・スー・トン)という終筆が完成されていくその過渡期ということです。
六朝時代は二折法(トン・スー)、唐時代の楷書は三折法(トン・スー・トン)です。
したがって、蘭亭序が書かれたとされる4世紀・六朝時代の文字は、楷書が完成する唐時代のものとくらべて次のような特徴があります。
起筆のあいまい
六朝時代の写経から考察されるように、横画の起筆が弱い部分や、逆におおげさなほど起筆がある部分があることから、まだ起筆が確立されていないと考えられます。
終筆のあいまい
起筆・送筆・終筆という三折法(トン・スー・トン)が確立したのは六朝時代から約300年後の唐時代です。
六朝時代は、隷書から楷書への過渡期であるため、横画に隷書的な波磔がのこっていたり、沈めたままで終わったり、あるいは逆にちょんぎれたような終筆がみられます。
転折(折れ)のあいまい
三折法(トン・スー・トン)が確立していないことから、転折(折れ)の部分も確立していません。
たとえば、「口」という字の横画から縦画にうつる部分は、ひとつの曲がった画として書かれる場合があります。転折部分の形状はときにはなで肩であり、ときには角ばるというように、意識的にというよりも意識せず結果的にその形になっていることがおおいです。
ハネのあいまい
ハネが完全な形で完成されるのは、三折法(トン・スー・トン)という書き方がが確立した後になります。
ハネには2種類の系譜があり、1つは「事」「寸」の縦画のように隷書のときの曲がりからくるもの、2つ目は点画を連続するときに新しく発生したものがあります。
六朝時代においては、曲がりの部分は意図的に書かれても、ほかの部分はハネがあったとしても意図的にハネているわけではありません。
したがって、ハネもまだ未完成です。
王羲之の蘭亭序以外の作品を紹介
王羲之の蘭亭序以外の作品を2点紹介します。
- 楽毅論
- 喪乱帖
「楽毅論」
王羲之の楷書作品「楽毅論」です。
「喪乱帖」
「喪乱帖」は、蘭亭序とおなじく複製ですが、最も真跡に近いとされるものの1つです。
また、蘭亭序とおなじく王羲之が晩年のころに書かれたとされています。
代表的な蘭亭序の複製本を紹介
現代の私たちがみられる王羲之の蘭亭序は本物ではなく、複製されたものと紹介しました。
複製された蘭亭序はいくつか種類があり、それぞれ違った特徴を持っています。
そこで、代表的な蘭亭序の複製本を3種類紹介します。
- ハ柱第一本(張金界奴本)
- 八柱第二本
- 八柱第三本(神龍半印本)
それでは紹介していきます。説明の都合上、第一本→第三本→第二本の順番で紹介します。
「ハ柱第一本(張金界奴本)」はもっとも原本に近いとされている
1つ目に紹介する、ハ柱第一本(張金界奴本)は、もっとも原本に近いとされている複製本です。その理由は、当時の書風がもっとも表現されているからです。
王羲之が、東晋時代永和9年(353)に「蘭亭序」を書き残したとすれば、そのときの文字は当時の六朝書法にしたがってかいたはずです。
数ある蘭亭序の複製本のなかでも、ハ柱第一本(張金界奴本)は、六朝書法の特徴がもっともよく表現されており、おそらくもっとも原型をとどめていると思われる複製本です。
六朝書法の特徴を理解した人による複製か、あるいは原本かまたは原本に近い複製を可能なかぎり忠実に写し取ったものです。
最も有名な「八柱第三本(神龍半印本)」
2つ目に紹介するのは、ハ柱第三本(神龍半印本)です。
蘭亭序の複製はいくつかありますが、そのなかでも一般にもっとも高く評価されており、高校の書道の教科書にも図版として採用されているのが「八柱第三本(神龍半印本)」です。
しかし、ハ柱第三本(神龍半印本)からは当時の王羲之の文字を読み取ることはできないとされています。
どうして王羲之の文字を読み取ることができないのでしょうか。
それは、王羲之が生きていた当時ではまだ誕生していないはずの、後の唐時代以降の書風(三折法)によって書かれているからです。また、六朝時代の書風を理解されないまま複製されたことによって、点画の書き方と次の点画への流れ(筆脈)、そして出来上がる形が自然ではないからです。通常の書跡にはありえない姿をしています。
言葉を書きとどめる以上、書かれた文字は起筆にはじまり、送筆をへて、終筆におわるひとつの点画の描かれ方、さらに点画から点画へつながる合理的、必然的な展開をもちます。
自然ではない作品、つまり意図的な作品は、点画の相互関係や構成などに変化をつけることで、言葉を書きとどめる自動性から脱しています。
ハ柱第三本(神龍半印本)を見てみてください。点画の連続がおかしいところ、強弱が不自然なところ、筆順がさっぱりわからないところなどに出会います。ほかの複製本に比べてヒゲのように細く長くなった起筆、ハネが多いのも特徴です。
それによって、従来よりも複雑で華やかな点画描出が可能になるわけですが、王羲之の本来の文字を再現しているわけではありません。
書道作品としては最も完成している「八柱第二本」
3つ目に紹介するのは、中国宋時代の書家・米芾によって書かれたとも言われる「八柱第二本」です。
唐時代に確立した書法、さらに次の時代の宋時代の米芾によって切りひらかれた新しい構成法のうえに、ほぼ最初から最後まで安定して書かれています。
また、「ハ柱第三本(神龍半印本)」のように、形だけを意識してしまったことによって点画のながれが不自然になってしまっているところはありません。
その点で、八柱第二本は作品としてはもっとも整っており、書道作品的には「蘭亭序」のなかで1番の作品です。
しかし、それは宋時代以降の完璧な構成法があったからこそであり、そこに六朝書法の古風なふくよかさはありません。つまり、八柱第二本は、王羲之、六朝時代の筆跡を伝えるものではありません。
だとすれば、1つ目に紹介した「ハ柱第一本(張金界奴本)」が現存する「蘭亭序」の中では1番原本に近いものだと考えられるのです。
蘭亭序の臨書が難しい理由
蘭亭序の臨書はどうして難しいのでしょうか?筆順が分かりにくかったり、点画の太さや細さ、起筆やハネなどが不自然で、すこし気を緩めるとちがった雰囲気になってしまいます。
その理由は、現存している蘭亭序はすべて複製本であり、文字の形・点画を原本に似せようと形を意識して書かれているため、筆脈を欠き、不自然な文字になってしまっているからです。
さらに、私たちが通常臨書に使用するのは「八柱第三本(神龍半印本)」です。
八柱第三本(神龍半印本)は、六朝時代の書風がみられず、唐時代以降のに完成した三折法(トン・スー・トン)に影響された複製本、と紹介しました。
つまり、六朝時代の書風(太さや細さ、起筆やハネ)を理解されないまま、唐時代の書風に影響されて複製されたのです。理解されないまま、さらに原本をもとに複製されるのだから、自然な脈絡と一貫性、一体性がない、通常の書跡にはありえない姿となってしまっています。
まとめ
今回はおもに以下の3点について解説しました。
- 王羲之の蘭亭序は本物ではなく、複製されたもの
- 王羲之が生きていた時代の書風とはどのようなものだったのか
- 蘭亭序の代表的な複製本
- どうして臨書がむずかしいのか
「八柱第一本」は、おおくの箇所に唐時代以降の楷書書法、つまり「トン・スー・トン」という三折法もありますが、一部に六朝書法、つまり「トン・スー」「スー・トン」という二折法で書かれた部分もあり、また隷書体の雰囲気の部分もあるということで、おそらくもっとも王羲之の時代に近い書きぶりの複製本と考えられます。
一方、「第二本」は、まったく六朝書法つまり「トン・スー」「スー・トン」という二折法の部分がなく、唐時代以降の新法「トン・スー・トン」という三折法でかかれている複製本です。洗練された文字構成の点から、米芾が書いた複製本である可能性は否定できないと思われます。
「第三本」については、もっともよく知られている複製本ですが、王羲之の文字を再現しているのかという点においては、「第二本」とおなじく六朝書法はみられず、さらに文字を書くことにおいて不自然な部分が多い複製本です。