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中国の書家
徐渭(じょい)とはどんな書画家だったのか詳しく解説
徐渭 花卉図巻 徐渭時代後期の文人で、詩書画どれもよくしましたが、とくに画人として有名です。 自由奔放で大胆な画風が人気で、後の清の時代の画家にも大きな影響を与えた人物です。 そんな偉大そうに見える徐渭ですが、彼の人生はとても壮絶なものでし... -
中国の書家
書道で活躍した皇帝・太宗(たいそう)について詳しく解説/書道の分野で功績を残した皇帝/代表作品の晋祠銘・温泉銘も紹介
中国唐われる人物ですが、書道史上においてもまた多大な影響を及ぼした皇帝です。 九成宮醴泉銘されたりしたことはとても有名です。 今回はそんな太宗について、どんな人物だったのか、彼の代表作品も紹介していきます。 【太宗について紹介】 唐・太宗 唐... -
楷書
九成宮醴泉銘の全文現代語訳/日本語訳
九成宮醴泉銘が文字を書きました。 九成宮醴泉銘の全文現代語訳/日本語訳を紹介します。 また、九成宮醴泉銘の書き方・臨書のコツなどはこちらで詳しく解説しています。↓ 【九成宮醴泉銘の全文現代語訳/日本語訳】 貞観でさえも、この点ではかなわないだろ... -
中国の書家
王羲之が務めた会稽内史ってどんな仕事?王羲之の功績を紹介
351年(永和7年)に王羲之になりました。 会稽とは、会稽という土地を治める政治を行う人のことです。王羲之は書家であり、政治家でもありました。 もともと本人の希望は宣城に比べるとずいぶん田舎です。王羲之は、戦争や内部の権力争いに身も心も疲れは... -
中国の書家
呉昌碩の代作をまかされた趙子雲(ちょうしうん)とはどんな書画家だったのか
書画家として成功した呉昌碩のもとには、たくさんの弟子がつき従ってきました。 弟子たちの目標は、自分も呉昌碩のように書画家として作品を売り、経済的に成功することです。 よって必然と弟子たちの書画作品は呉昌碩とそっくりになります。 そのなかでも... -
中国の書家
呉昌碩のよき友人、王一亭(おういってい)とは?
明末から中華民国にかけて活躍した書画家・王一亭と関連づけて語られることが多いです。 それは、王一亭は呉昌碩晩年のよき友人、弟子であり、時には代作をつとめるほどの人物だったからです。 では、どうして王一亭が晩年の呉昌碩とこういった親密な関係... -
日本の書家
河井荃廬(かわいせんろ)について解説/呉昌碩に師事した日本人篆刻家
呉昌碩は多くの弟子がいましたが、そのなかで日本人の弟子が1人だけいました。 それが河井荃廬です。 荃廬は呉昌碩にあこがれ、呉昌碩門下への入門を望み、それが叶うと毎年のように呉昌碩をたずねました。 今回は、河井荃廬を紹介し、功績や呉昌碩との関... -
中国の書家
呉昌碩について解説【石鼓文の臨書作品についても解説】
詩・書・画・篆刻の四芸に優れており、日本でも早くから多くの愛好者がいる呉昌碩。 清朝末期から中華民国初期に活躍した人で、中国最後の文人と言われています。 また呉昌碩は、書画は趣味であって、売ることを前提にしない今までの文人の枠を超え、書画... -
日本の書家
呉昌碩と日下部鳴鶴の関係【呉昌碩の書画作品が日本で有名になったきっかけ】
日本において、呉昌碩(1838~1922)が世間に広く伝えたことがきっかけと考えられています。 今回は、呉昌碩と日下部鳴鶴の接点を解説していきます。 【日下部鳴鶴の呉昌碩訪問】 日下部鳴鶴に信任されましたが、大久保利通が暗殺され、その後は政界から離... -
その他
書道作品の売買に使用された価格表/潤格(潤例)とは
【潤格(潤例)とは】 書道において、作品の揮毫料の一覧表を潤格といいます。 潤格の発生時期はわかっていませんが、潤格が使われていた事例は明末(1600年ごろ)から見られます。 職業書画家にとって、揮毫料は唯一の収入源であり、自分の実力に見合った...