張遷碑(ちょうせんひ)の基本情報
張遷碑は、張遷という人物が務めていた縠城県での功績を称えて建てられた石碑です。
張遷碑が建てられた年は、中国後漢時代の186年(中平3年)です。
張遷碑の作者はわかっていません。
張遷碑の大きさは、通高315×102㎝。
龍が碑側の左右の足元から這い上がり、円首の頂上で2匹の頭が向かい合う形に彫刻してあります。
碑首には、2行で「漢故穀城長蕩陰令張君表頌」と書かれています。
この題額は不思議な書体ですが、この書体について方朔は、
「篆隷の間に在り。而して屈曲塡満は、印書中の繆篆に似たるあり。人 因りて篆体をもってこれ目す」(『枕経堂金石跋尾』)といいます。
張遷碑の構成
碑文は16行、行ごとに42文字、全文で566文字あります。
碑陰は3段で、上2段は各19行、下段は3行。建碑にかかわった41人の官職、姓名、醵金額(目的のために出しあった金額)を、碑文よりひとまわり大きいサイズの字粒で書かれています。
また、碑陽の状態は、全体に緩やかな凹凸があるため、痩せた点画の随所に補刀の跡がみえます。
それにくらべて碑陰は比較的状態がいいです。理由は、かつてある期間、碑陰が壁に埋め込まれていたために、採拓される機会が少なかったからと考えられてます。
張遷碑の内容
張遷碑の内容は、4つに分けられます。
初段〔「君諱遷~世載其徳」〕は、周の宣王のときの張仲、漢の張良、張釈之、張騫など、歴史上著名な名前に「張」がつく人物をあげています。
ただし、どれも今回の碑の張遷の家系とは無関係である、と明の王世貞が指摘しています。(『弇州山人四部稿』第134)
第2段〔「爰既且於君~其命維新」〕は、張遷の経歴を略記し、その徳政を称えています。
第3段〔「於穆我君~子子孫孫」〕は、韻文でなる銘辞です。
終段〔「惟中平三年~億載年」〕は、立碑の年月とその経緯が書かれています。
碑は、張遷の任地であった縠城県(いまの山東省東阿県)から、蕩陰県(いまの河南省湯陰県)へ転任するにあたり、故吏の韋萌らが張遷の徳を称えて建てたものです。
その土地の行政官が任地を去ったあと、そこの住民、役人が行政官の功績を慕って建てる碑を「去思碑」といいます。
張遷碑も碑文第2段中に、
「(張遷)蕩陰令に移らんとするや、吏民頡頏して、随送すること雲の如し。…前哲の遺芳、功あるに書せざれば、後 焉を述ぶるなし。是に於いて石に刊して表を竪て、萬載に銘勒す」
とあるように、この碑は「去思碑」です。
亡くなった後に建てる「墓碑」とは違ったものです。
張遷碑の特徴・書き方
張遷碑の横画
張遷碑の横画は、おおむね水平・等間隔を保っています。
一方、「吾」や「先」など一部の文字は、横画が右上がりで文字全体も右上がりになっているものもあります。
張遷碑の縦画
張遷碑の縦画は、ほとんど垂直にひかれます。
線と線の間隔についても、横画と同様等間隔が基本です。
張遷碑の波磔(はたく)
張遷碑は隷書なので波磔があります。
波磔とは、横画のながいものについているハライのことです。
張遷碑の波磔は、冒頭の「君」を代表に、小さく角度が真上に向かってはねています。
また、波磔のある横画によくある波磔の前の「揺らぎ(山なり)」の表現は少なめです。
張遷碑の字形
通常の隷書の特徴としては、字形が平べったいという点がありますが、張遷碑においてはやや縦長の字が多くみられます。
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張遷碑の全文画像・釈門
張遷碑の拓本でもっとも古い拓本は北京故宮博物院蔵の「東里潤色」未損の明初拓です。
拓本は、古い拓本の方が碑面がきれいな時期に採拓され、線もしっかりとしていて良いとされています。
君諱遷字公方。陳留己吾人也。君之先出自有
周。周宣王中興。有張仲。以孝友為行。披覽詩雅。
煥知其祖。高帝龍興。有張良。善用籌策。在帷幕
之内。決勝負千里之外。析珪於留。文景之間。有
張釋之。建忠弼之謨。帝遊上林。問禽狩所有。苑
令不對。更問嗇夫。嗇夫事對。於是進嗇夫為令。
令退為嗇夫。釋之議為不可。苑令有公卿之才。
嗇夫喋喋小吏。非社稷之重。上従言。孝武時。有
張騫。廣通風俗。開定畿㝢。南苞八蠻。西羈六戎。
北震五狄。東勤九夷。