行書の練習をしたいけどどう練習したらいいのかわからないすよね。また、普段自分が練習している行書の古典については知っておきたいものです。
今回は行書とは何か、行書の特徴を確認してから、行書の練習方法とそのために知っておきたい古典を紹介します。
行書体の成立
行書は、隷書の速書きをするために生まれた書体です。
もっとも古い行書は後漢の時代(西暦100年ごろ)のものが発見されています。 中国の敦煌や居延で発見された木簡の行書がその実例として知られています。
紀元前二世紀には、すでに隷書体が公用書体として使われ、その速書きである行書体が実用書体として使われていたことが明らかになっています。
楷書と草書の中間の書体のため、楷書のほうが先に生まれたと思われがちですが、行書はあくまで隷書の速書きとして生まれたため、楷書よりも早くに生まれた書体です。楷書体は三世紀中期に発生します。
行書の特徴
行書は、楷書のように、点や画を1つ1つ作るのとは違い、かなり自由で流れのある筆使いが求められます。また、草書にくらべると点画の省略は少なく、字形の変化が少ないため行書のほうが読みやすいです。
- 点画が曲線的である。
- 点画の形や長さ、方向が変化することがある。
- 点画が連続することが多い。
- 点画が省略されることがある。
- 点画の筆順が変わることがある。
真(楷書)は、立つがごとく、
北宋・蘇軾の文
行は、行く(歩く)がごとく、
草は、走るがごとし。
行書が、楷書と草書の中間にあって、楷書の正しい読みやすさと、草書の速さや形の多様さとを兼ね備えた書体であることを適切に言い表しています。
行書の練習方法
行書を書く際に大切なのが流れのある筆使いを意識することです。実際には書かなくても点画から点画へ目には見えない線でつながっています。
行書をうまく書けるようになるまでに最も苦労するのが、点画の省略のパターンを覚えることです!
流れのある筆使いや点画の省略をマスターするにはお手本を見て何度も書き、腕に覚えさせることが基本です。
つぎに、効率よく練習する方法を紹介します。
書道教室に通う
書道教室の先生に行書のお手本を書いてもらう方法があります。お手本は筆のサイズや紙の大きさなど自分が書くときとほとんど同じ条件で書かれているため参考にしやすいです。
また、わからない点や難しい筆使いについては教室の先生に気軽に聞けるため、書道初心者の方は書道教室に通って練習することをお勧めします。
古典を臨書する
書道でいう古典とは過去に字が上手いことで有名だった人たちの優れた筆跡(手紙や詩集)のことをいいます。
臨書とは絵画の世界における“デッサン”(=素描)と同じようなものです。表現の基礎を学ぶ。感性と技能を高めるためには欠かせない学習方法です。
書道教室でも古典をお手本に指導してもらえる教室もあり、先生が古典を臨書し、それをお手本としていることもあります。
行書のおすすめ古典
ここからは行書を練習する際に知っておきたい・おすすめの古典を紹介していきます。
蘭亭序(らんていじょ)
蘭亭序は、書の歴史上、行書の最高傑作とされています。そのため行書を練習したい人はまずこの蘭亭序から練習することをお勧めします。
東晋の王羲之(307~365)の書で、永和9年(353)3月3日、会稽山(浙江省紹興市)のふもとの蘭亭に名士41人を招き、禊(身を清め、穢れを取り除くこと)の儀式を行って流觴曲水の宴という詩会を催し、各自が作った詩をもとに詩集を作ります。このとき書いた詩集の序文の草稿のことをいいます。
用筆、字形ともに優れ、行書としての完成された姿です。筆使いは自在で伸びやかであり、字形も変化に富んで豊かな表情を見せています。
しかし、王羲之の真跡はひとつも存在していません。現在私たちが見ることができるのはすべて臨書または摸本 (敷き写し) ということになります。
今日ではおびただしい数の「蘭亭序」の複製が伝わっていますが、そのなかでも「神龍半印本」は、原跡を最も忠実に反映した摸本とされ、多くの人がこれを手本に練習しています。
蘭亭序については、下の記事で詳しく解説しています。
蜀素帖(しょくぞじょう)
蜀素帖は、北宋の三大家のひとり、米芾の38歳の作品です。湖州(浙江省)に招かれた米芾が自ら詩を作り、それを書いたものです。黒色で罫線が織り込まれた蜀産(現在の四川省)の素(絹)が使われたことから、この名前がつけられています。
米芾は生涯を通して書画研究に打ち込み、王羲之ら先人の書を理想としつつ、行草書の新しい書風を確立しました。
縦長で左に傾いた独特の字形と大胆な筆圧の変化が特徴で、起筆を太くするための蔵鋒的な筆使いもあります。変化に富んだ味わい深い書です。
蜀素帖は、蘭亭序の次に臨書する法帖としておすすめです。
風信帖(ふうしんじょう)
風信帖は、平安時代初期の真言宗の開祖である空海(774~835)が最澄(767~822)に宛てた手紙です。書状三通を継いで一巻としたもので、冒頭に「風信雲書」と書かれていることから「風信帖」という名前がつけられました。もともとは五通あったらしいのですが、一通は盗難にあって紛失してしまい、もう一通は関白・豊臣秀次の所望により、召し上げられたことが分かっています。
その書は、王羲之の行草書の典型や顔真卿書法における豊潤な線をとりいれながら、一方で独自の書風をも展開しており、空海が唐代のさまざまな書法を自己のものとしていたことがうかがえます。力のこもった線質、厳しく筆圧を加える転折など、文字は骨格が強く、また構成には即興性の強い手紙ならではの軽妙さも備わっています。